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吉備高原の地層と地形の特徴

岡山県中央の大部分を占める「吉備高原」は、広島県三次(みよし)市辺りから岡山県を渡り、兵庫県西部の山崎(やまさき)断層を境とした広域のことを指します。大昔の平坦な地形を残す山頂部と河川の侵食による谷からなる、隆起準平原です。上空から吉備高原を見ると、右側部分にまっすぐなリニアメント(線状模様)が連続しているのが分かります。リニアメントは地下の地質や構造などを反映しており、断層のある場所にリニアメントが見られる傾向があるため、吉備高原には以前から活断層のある可能性が高いと考えられてきました。しかし調査を行ったところ、活断層はなく、リニアメントの谷底には中新世の入江の地層が残っていました。その地層が堆積した時にはすでにリニアメントはできていたため、古い地形なのではないか、と考えられるようになりました。また、吉備高原には短い枝状の谷が多くあります。起伏が急な場所に谷ができると真っすぐで長い直線になりますが、起伏が緩やかな場所には、数多くの短い谷が樹枝状にできます。その典型的な小起伏多短谷(しょうきふくたたんこく)地形が吉備高原には見られます

吉備高原の地層には全国的に非常に珍しい「山砂利層」がある

吉備高原には、全国的に見ても非常に珍しい地層があります。それが「山砂利層」です。

吉備高原の地層:山砂利層の堆積物とは?

山砂利層はかつての河原に堆積していた地層だと考えられています。驚くべきことに、地層を構成する礫と現在の河原にある砂利は大きさや礫種もほぼ同じものだということが分かっています。山砂利層には、こぶし大から人の頭くらいの中~大礫サイズで、丸い円礫や丸と角の中間型である亜円礫が分布しています。

吉備高原の地層:山砂利層は約2500万~6000万年前の古い地層

大阪層群にも砂利地層がありますが、こちらは約200万年前のものとされています。吉備高原の層も発見当初は同じくらいの年代のものかと思われていましたが、まれに挟まる凝灰岩(ぎょうかいがん)を年代測定した結果、吉備高原の山砂利層は約2500万~6000万年前の古い地層だということが分かりました。基本的に古い地層は硬く、新しいものは軟らかい特徴を持ちますが、吉備高原の山砂利層はもろく崩れやすいのです。そのため調査前までは、比較的新しい地層だろうと考えられていました。

山砂利層は吉備高原全体に点在していますが、岡山市北部では三つの異なる山砂利層が確認されています。
資料提供:鈴木茂之氏

吉備高原の地層:山砂利層はどのように形成されたのか

これを見ると、それぞれの分布域が非常に小さく狭いことが分かります。厚さ約100m・幅数100m~1km程度・距離は約20~30kmで、南北に細長く分布していることから、河川によってつくられた谷を礫が埋めて堆積した地層だと推測できます。“どうやって高い標高にある谷に、礫が埋まり山砂利層ができたのか”というのは大きな謎であり、現在も調査が進められています。一説として、山地の谷を流れる河川は通常は小さな砂が流れる程度ですが、豪雨や洪水などで増水し、強い水流になったときには、河原の大きい礫を巻き込みながら流れ、それが川底に溜まります。水位が下がり、礫が溜まった部分が中州になると川の流れが変わり、また豪雨などで川が増水すると水があふれて中州も覆います。その繰り返しによって、現在の河川と同じように谷に礫が堆積していき、山砂利層が形成されたのではないかという説もあります。

吉備高原の地層:山砂利層が現存する事実が示すものとは

このような旧河川の流路を示す山砂利層の存在は大変貴重です。しかし世界的にはこのような事例は他に確認できていないため、まだ広く認知されておらず、現時点では吉備高原のみに見られる特徴だといえます。他地域の山地内にもごくまれに似たような地層が見られますが、激しい隆起によって地層が削られたためほとんどその形を残していません。ここまで大規模でしっかりとした形が残っているのは吉備高原だけなのです。通常は激しい隆起によって侵食されると、地層が無くなる可能性が高いですが、残っているということは山砂利層ができたころから現在まで、吉備高原の地形がほとんど変わっていないということを示しています。

吉備高原の地層から読み解く地形形成の歴史

吉備高原は、連なる山の上部が風化により削られ、ほぼ平坦になった起伏の緩い土地です。ここには、白亜紀の終わりごろの安山岩や流紋岩の分布が見られます。これらは火山岩であることから、昔の吉備高原一帯は火山活動の活発な高い山々が並んでいましたが、長年の風化により山の上部が削られて現在のような平らな台地になったと考えられています。久米郡美咲町(くめぐんみさきちょう)に位置する二上山(ふたかみさん)(標高約689m)の周りには、今でも安山岩が残丘をなしているため、昔は高い山だったのではないかと推測されています。また、北部の津山市(つやまし)付近では、これを海の地層が覆っているのが確認できます。谷底に礫を残した山々が風化によって徐々に上部が削られ、そこに約1600万年前の海進によって表面に海の層が入ってならされました。そのときに吉備高原は現在のような地形に仕上がったと考えられています。

吉備高原の地層からわかる地震に対する安全性

先にも述べた通り、吉備高原には明確な活断層は確認できていません。断層は存在しますが、その断層粘土は固結しており、活動していない古い断層だと判断できます。近年の研究により、吉備高原は古第三紀から現在まで地質学的に比較的安定した大地であるということが分かってきました。吉備高原の地下には硬い岩盤が存在しており、軟弱地盤ではありません。もし近くで地震が起きたとしても硬い岩盤なので、地震波を増幅しません。そのため吉備高原は、地震に対しての安全性が高い土地だと考えられています。河川による土砂の堆積と干拓によりできた岡山平野は、地下の軟弱地盤が厚いため吉備高原よりも地盤が弱く、地震波の振動が増幅する可能性があると考えられます。

箕作阮甫が“地質学”という用語を作った

箕作阮甫(みつくりげんぽ)(1799~1863年)は津山藩の侍医であり、幕末に活躍した蘭学者です。彼は、25歳で江戸に遊学し、多くのヨーロッパの文献を翻訳しました。その中の一冊である『地殻図説』という本の中に記述されていた、Geologieを阮甫は日阿羅義(ゲオロギー)とし、“地質学”と和訳します。これにより「地質」という用語ができ、広く使われるようになったのです。

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・瀬戸内海はどうやってできた?岡山県の成り立ち
・美作はなぜ西日本有数の温泉地なのか
・岡山県指定天然記念物井倉洞はどうやってできた?
・山から貝の化石がとれる不思議
・その大きさは世界2位! 児島湖はなぜ造られたのか?
・「晴れの国岡山」は「天文王国おかやま」だった!
・笠岡市がカブトガニ有数の生息地になった理由

…などなど岡山のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 岡山を走る充実の交通網

・瀬戸大橋が鉄道と併用できた理由
・西日本唯一の臨海鉄道線「水島臨海鉄道」の変遷を知る
・わずか16年で廃線になった、幻の三蟠鉄道
・津山扇形機関車庫から見る、岡山県の鉄道の歴史
・山陽新幹線は岡山発が多い?交通の要所・岡山駅のスゴさ
・日本で最も短い路面電車が地元で愛される理由

…などなど岡山ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 岡山で動いた歴史の瞬間

・伝説の城「鬼ノ城」は古代日本の防衛ラインだった
・巨大古墳群からひもとく吉備国と大和朝廷の関係
・戦国大名・宇喜多直家は、邑久郡の小領主だった
・難攻不落の備中高松城を、血を流さずに攻め落とせ!
・宇喜多秀家が基礎を築き池田家が整備した城下町
・岡山藩藩主の憩いの場として築かれた大庭園・後楽園

…などなど、激動の岡山の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 岡山で生まれた産業や文化

・古墳時代から受け継がれる備前焼
・岡山県の名産品・白桃は、なぜこんなにおいしいのか?
・蒜山原野の開拓とジャージー牛導入の歴史
・養蚕・イグサ・綿・デニム…。岡山が誇る繊維業
・瀬戸内工業地域・水島コンビナートの誕生秘話
・倉敷市が一大観光地に成長した理由
・刀工集団・長船派は、どのようにして生まれたのか

…などなど岡山の発展の歩みをたどる。

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