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浅野川電鉄の歴史~かつて「北陸の宝塚」が存在した粟崎へ人々を運んだ~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

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浅野川電鉄の歴史~かつて「北陸の宝塚」が存在した粟崎へ人々を運んだ~

内灘には、宝塚をモデルにした「粟ヶ崎遊園」がありました。
この施設が栄えた背景には、浅野川電鉄の存在が欠かせません。
今も活躍する通称「浅電」の歴史を辿ります。

浅野川電鉄の歴史は平澤嘉太郎が宝塚にあこがれたことから

大正14(1925)年、金沢の郊外である内崎の灘粟(あわがさき)で、レジャー施設「粟ヶ崎遊園」がオープンしました。創設したのは、「北陸の材木王」といわれた平澤嘉太郎。宝塚を作ったことで知られる財界人・小林一三の生き様に感銘を受けた人物です。

少女歌劇から始まった宝塚は周辺に遊園地や温泉地などを備えた複合エンターテインメント施設でしたが、それら同様の施設を目指し、私財35万円(内灘町の資料館に残っている資料では現在の約40億円)を投じました。施設内には遊園地だけでなく、レヴュー(大衆娯楽演芸)や演劇を見る大劇場や大浴場、動物園、旅館、食堂などもあり、大規模な遊園地が誕生したのです。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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