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恋路海岸の悲恋伝説

海岸の周辺にあった多田の里の鍋乃という乙女が、木郎(もくろう)の里の青年・助三郎と恋に落ちるところから言い伝えは始まります。

木郎の里から多田の里へと通じる道は険しく、とりわけ夜道は危険だったため、助三郎は磯伝いに浅瀬を辿りながら恋路海岸へ辿り着き、鍋乃は目印のかがり火を焚きながら助三郎を毎晩待っていました。しかし、鍋乃に横恋慕する源次という男が現れ、源次は鍋乃と助三郎の仲を妬むようになります。

助三郎さえいえなければと思い込んだ源次は、ある夜、助三郎が海の深みにはまるような方角にかがり火を焚きました。何も知らずにやってきた助三郎が、火の方向がいつもと違うことに気づいたかは不明ですが、鍋乃を信じて火の方向に進みました。

しかし、源次のくわだて通り、深瀬にはまって溺死。それを知った鍋乃は絶望して悲嘆に暮れ、助三郎のあとを追って自らの命を絶ったという悲しい結末を迎えます。

恋路海岸の「恋路火祭り」

毎年7月におこなわれる「恋路火祭り」は、この悲しい恋人同士の霊を慰めるために村人がそろって浜辺にかがり火を焚いたのが始まりといわれます。

大小2本のキリコ(巨大な御神灯)が威勢よく海の中を練りまわり、油物と呼ばれるこの土地独特の仕掛け火も披露されると歓声が起こります。弁天島に設けられた大松明(おおたいまつ)が燃えて海を赤く染めると、若者たちは竹棹につけた松明を揺らしながら美しい火の輪を描き、夜空を幻想的に彩ります。

恋路海岸の「恋路火祭り」

恋路海岸の弁天島。干潮時は歩いて渡れます。

恋路海岸の悲恋伝説が縁結びに転じたわけ

悲恋伝説がなぜ縁結びに転じたのか。それは、2人の死後の源次に関するエピソードに理由があるようです。

助三郎と鍋乃を死なせてしまったことを深く悔いた源次は、自らの残忍さに苦しんで出家し、2人を弔いながら行脚を続けました。行脚を終えたのち、老僧となって故郷に戻ってきた源次は観音堂を建て、そこに住みながら2人の冥福を祈り続け、罪を償おうとしたのか、男女の仲を取りもつこともあったといいます。

いつしか、その観音堂に参詣する男女は結ばれると言われるようになったそうです。現在は、助三郎と鍋乃が寄り添う銅像や恋路観音像、カップルで鳴らすと幸せになれるという鐘がついたモニュメントが設置されており、恋愛成就を願う女性やカップルが訪れる場所となっています。

恋路海岸の悲恋伝説が縁結びに転じたわけ

助三郎と鍋乃の銅像が設置されています。

恋路海岸の悲恋伝説が縁結びに転じたわけ

カップルで鳴らすと幸せが訪れるという「幸せの鐘」。

恋路海岸

住所
石川県鳳珠郡能登町恋路
交通
のと鉄道七尾線穴水駅から北鉄奥能登バス宇出津駅前行きで1時間、終点で北鉄奥能登バス珠洲方面行きに乗り換えて40分、恋路浜下車すぐ
料金
情報なし

空海が見つけた見附島

真言宗の開祖・空海が佐渡島から能登を目指す旅をしていたときのことです。空海は、陸のほうから読経が聞こえることに気づきました。空海は船を岸に着けるよう命じ、船が岸に近づいたとき、大きな島が目に入りました。空海が最初に見つけたことから、そのまま見附島の名が付いたといわれます。

軍艦島」という別称もよく知られています。巨大な軍艦の鋭くとがった舳先が陸に向いているような形は、遠目で見ても一目でそれと分かるほど特徴的です。海岸からも近い位置にあるため、どっしりとした重厚感が感じられます。

景勝地でありながら、島を形成する堆積泥岩、頂上部の植物が 沿岸の地形形成過程や植生を知るために重要であることから、「県指定天然記念物及び名勝」にも指定されました。

この付近は月の名所でも知られることから、「見月島」と記す文献もあります。この見附島といい、恋路海岸といい、内浦の海岸はどこかロマンが漂い、旅情を搔き立てる響きがあるようです。

空海が見つけた見附島

軍艦の形をした特徴的な島。

見附島

住所
石川県珠洲市宝立町鵜飼
交通
JR金沢駅から北陸鉄道珠洲特急線バスで2時間40分、珠洲鵜飼下車、徒歩15分
料金
情報なし

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Part.1 地図で読み解く石川の大地

・石川県は天気予報が難しい?能登と加賀の地形と天気
・伊能忠敬を苦しめた外浦・内浦
・珠洲岬はなぜパワースポット?
・霊峰白山と「しらやまさん」
・金沢は街そのものが博物館
・能登の歴史的遺産「千枚田」
・金沢の用水が果たした役割
・坂を上ると世界が変わる?魔性が宿る金沢の坂
・市内に25ヵ所以上の石切り場が存在!小松は日本の宝玉の産地

Part.2 石川を走る交通網のアレコレ

・開業後、石川はどう変わったか?北陸新幹線のココがすごい!
・活発化する海の玄関口、金沢港
・官民共用で発展する小松飛行場
・路面電車「青電車」が消えた理由
・鉄道交通の要「金沢駅」の誕生秘話
・粟崎へ人々を運んだ浅野川電鉄
・石川の伝統工芸が随所にあしらわれた、能登を走る2つの観光列車
・石川県唯一の私鉄、北陸鉄道の歴史をふりかえる

Part.3 石川の歴史を深読み!

・実は3代利常が名君だった!
・前田家の運命を決めた末森城
・利家の妻が有名なのはなぜ?賢妻としてまつが残した功績
・地名の由来はお坊さん?金沢モダンを象徴した香林坊
・縁結びの聖地、恋路海岸に伝わる悲恋伝説
・城郭建築の美を感じる金沢城
・芭蕉や与謝野晶子が愛した加賀四湯
・江戸時代から続く近江町市場
・日本在来馬「能登馬」とは?
・「小京都」と呼ばれたくない!金沢で受け継がれる武家文化
・那谷寺は胎内くぐりの聖地だった
・平家の末裔と2つの時国家
・倶利伽羅峠と安宅関で辿る義経の悲劇
・有名古墳&遺跡はココに注目

…etc.

Part.4 石川で育まれた文化や産業

・六の数字に込められた意味とは?日本三名園「兼六園」は理想の庭
・人間国宝の数が日本一!石川県に息づく伝統工芸の土壌
・古九谷に込めた前田家の対抗心
・あの国宝は実は下絵だった!? 等伯の最高傑作『松林図屏風』
・三文豪が愛した犀川と浅野川
・大伴家持の能登巡行と万葉集
・偉人を輩出した第四高等学校
・祭りのない金沢、祭り天国能登
・和倉温泉と日本一の宿「加賀屋」
・県民の寿司愛と豊富な海の幸
・北前船で発展した大野醤油

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