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足尾銅山の課題となった輸送路の確保

江戸時代、足尾ではすでに銅鉱石の採掘が盛んに行われており、その量は最大で年間35~45万貫(1300t以上)にもなりました。そして時代は明治の文明開化となり、足尾で採掘した銅鉱石の輸送と、この地で働く数千人の人々の暮らしを支える物流の確保が喫緊(きっきん)の課題となります。そこで足尾~日光の細尾(ほそお)峠にトンネルを造る計画が立てられますが、工事規模が大きく、難工事が予想されるということで計画は頓挫します。

足尾銅山で活躍した架空索道

これを補う形で1890(明治23)年、足尾から峠を越えて日光側の細尾に至る、水平長3.79㎞の架空索道(かくうさくどう)(足尾では鉄索(てっさく)と呼ばれた)、いわゆるロープウェイが開通しました。これは、日本における民営鉱山索道の第1号であり、先駆的なものとして大きな注目を集めます。さらに2年後の1892(明治25)年には、水平長4.53㎞の第二鉄索が建設されます。これらの鉄索は、足尾鉄道開通とともにその役割を終えました。

足尾銅山で産出された銅は、細尾峠に架けられた鉄索で運び、馬車鉄道や日光電気軌道を経て、日光駅から日本鉄道(のちに国鉄)日光線で東京へ運ばれていました。群馬県側へ抜ける足尾鉄道ができると、細尾峠の鉄索はその役目を終えました。
地理院タイル(色別標高図)を加工して作成

足尾銅山の産銅量が急増し鉄道建設を検討

ここで少し時間をさかのぼると、足尾銅山の産銅量は江戸後期から明治の初期には一時的に衰退し、1877(明治10)年には年間46tにまで低下しました。しかし、のちの古河(ふるかわ)財閥創業者となる実業家・古河市兵衛(いちべえ)の経営により、再び銅の産出量が拡大。1889(明治22)年には、年間4839tにまで達していました。急増する銅の生産量に対し、鉄索を通じての輸送だけではとても足りず、鉄道建設が検討されることとなります。ちなみに、この銅増産の影で起こったのが、足尾の鉱毒事件です。

足尾鉄道の開通

1902(明治35)年、足尾鉱山鉄道(のちに足尾鉄道に改称)が発起され、桐生~大間々~足尾における鉄道建設の免許を取得。1911(明治44)年4月にまず下新田~大間々が開通し、1912(大正元)年には足尾まで開通しました。その後、東武鉄道桐生線と足尾鉄道が接続し、1914(大正3)年には足尾~足尾本山が開通して全通。4年後には国鉄に買収され、国鉄足尾線となります。

足尾銅山の閉山と足尾鉱山鉄道のその後

それから半世紀以上が過ぎた1973(昭和48)年、足尾銅山は閉山し、足尾線の輸送量は旅客・貨物ともに激減。以来、赤字ローカル線として運行されていましたが、沿線市民の運動により廃止をまぬがれます。そして第三セクター鉄道への転換が決定され、1989(平成元)年3月、わたらせ渓谷鐵道に継承されました。

わたらせ渓谷鐵道

住所
群馬県みどり市桐生市末広町(桐生駅)~栃木県日光市足尾町下間藤(間藤駅)
交通
JR両毛線桐生駅~間藤駅
料金
乗車券(桐生駅~間藤駅、片道)=大人1130円、小人570円/一日フリーきっぷ=大人1880円、小人940円/(トロッコ列車は乗車券・整理券別、障がい者手帳、療育手帳、精神障がい者保健福祉手帳持参で本人と同伴者1名半額)

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