フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  九州・沖縄 > 鹿児島県 >

薩摩藩は石高72万石ながらなぜ財政難に苦しんでいた? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

この記事をシェアしよう!

薩摩藩は石高72万石ながらなぜ財政難に苦しんでいた?

江戸からもっとも遠く離れた外様大名だった薩摩藩は、独自の制度で領内を支配していました。
幕末から明治初期にかけて西郷隆盛や大久保利通らが活躍します。

薩摩藩は島津氏が立藩

島津氏は関ヶ原の戦いで西軍に属したものの、粘り強い交渉の結果、徳川幕府から所領を安堵されて薩摩藩を立藩。支藩として日向国に佐土原(さどわら)藩が成立し、幕藩体制に組み入れられていきました。薩摩藩では「外城(とじょう)制度」や「門割(かどわり)制度」といった独自の制度を運用して支配体制を強めていきます。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  九州・沖縄 > 鹿児島県 >

この記事に関連するタグ