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花輪線は10年をかけて全通した

花輪線の建設は、秋田県の鹿角花輪(かづのはなわ)駅を境に秋田県側、岩手県側に分かれて行われました。

まず、私鉄の秋田鉄道が1914(大正3) 年7月に大館〜扇田(おうぎた)間を開業させことに始まり、1923(大正12)年11月までに陸中(りくちゅう)花輪(現・鹿角花輪)までを全通させました。

いっぽう、岩手県側は国による軽便(けいべん)線の花輪線として建設が行われました。1922(大正11)年8月に好摩〜平館(たいらだて)間を皮切りに、1931(昭和6)年10月には陸中花輪までを全通。その後、1934(昭和9)年6月に秋田鉄道を買収し、国有化されて全線が花輪線となったのです。

花輪線の名所は難所でもある

花輪線の延長は106.9㎞と長く、岩手、秋田県側で風景や地形も異なりそれぞれに特徴があります。

岩手県側でもっとも代表的なのは秀峰・岩手山を望む車窓風景でしょう。標高2038m、「南部富士」とも呼ばれる岩手県の最高峰は、松尾八幡平(まつおはちまんたい)駅を過ぎてから左車窓に姿を現し、その美しい車窓はしばらく続きます。

しかし、同時に33.3パーミルという「龍ヶ森(りゅうがもり)越え」の急勾配が連続します。次の安比高原(あっぴこうげん)駅を頂点として、前後に急勾配と急カーブが連続する花輪線最大の難所です。トンネルは少なく、見晴らしのよい山道を上り下りする道のりは、とにかく険しいのです。

建設当時、この隘路(あいろ)を25パーミル勾配で敷設することも検討されましたが、距離が2㎞ほど長いループ線となってしまい、建設費もかかることから現行の33.3パーミル勾配の路線になったといわれます。

花輪線はいかにして急勾配を克服したのか

急勾配は当然、運転上のネックになり、蒸気機関車の時代は中型で高性能の大正生まれの8620形が補助機関車を連結させて克服しました。

機関車は盛岡機関区のほか、沿線の荒屋新町(あらやしんまち)駅に機関支区があり、重連、三重連で龍ヶ森越えに挑みました。三重連は、先頭に機関車2両、最後部に1両が連結されましたが、これは花輪線の線路規格が低く橋梁が重量に耐えられないため、軸重を軽減させるための対策でした。

補助機関車は岩手松尾(現・松尾八幡平)駅、荒屋新町駅で連結しましたが、岩手松尾駅には転車台がなかったので逆向きで補助機関車として連結した列車もありました。

龍ヶ森越えは、旧・東北本線の奥中山(おくなかやま)と並ぶ鉄道名所で、全国にその名を知らしめました。花輪線の蒸気機関車は、1971(昭和46)年にディーゼル機関車に置き換えられ姿を消しましたが、当地がキハ110系気動車のエンジンが唸る難所であることに変わりはありません。

花輪線は風光明媚な路線として観光でも人気を呼んでいる

田山駅を過ぎると、日本海へ注ぐ米代川(よねしろがわ)に出合い、県境を越えます。のちに花輪線は秋田の花輪盆地に入り風景は一変。十和田南駅でスイッチバックをし、同県の大館盆地のなかの終点・大館駅に至ります。

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Part.1 地図で読み解く岩手の大地

・盛岡のまちを見守る名峰 岩手山はどうやってできた?
・宮沢賢治が名付けた理想の地? イーハトーヴの風景地とは
・三陸海岸のうち南部だけが リアス海岸になっている理由
・三陸沖で多発する地震と 津波発生のメカニズムを探る
・平泉の黄金文化を支えた 玉山金山はどこがすごい?
・カルスト台地に刻まれた猊鼻渓と 幽玄洞は古生代の化石の宝庫!
・ティラノサウルス類化石も発見! 国内最大の琥珀産地・久慈

などなど岩手のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 岩手を駆け抜ける鉄道網

・軌道から車両まで対策は万全! 積雪地帯を快走する東北新幹線
・一ノ関以北で客車が走り続けた 大幹線・東北本線の歴史と実力
・急勾配を克服する物流の幹線 IGRいわて銀河鉄道がすごい!
・『銀河鉄道の夜』の原風景を走る岩手軽便鉄道に始まった釜石線
・三陸縦貫鉄道を引き継ぎ誕生! 沿岸部を走る三陸鉄道リアス線
・龍ヶ森の急勾配を越えろ! 奥羽山脈を横断する花輪線

などなど岩手ならではの交通事情を網羅。

Part.3 岩手で動いた歴史の瞬間

・人々が定住し集落が生まれ 南北それぞれの文化が発達
・胆沢平野を中心に米作が進み 強大な権力も生まれる
・蝦夷のリーダー・アテルイと ヤマト王権の熾烈な争い
・安部氏から奥州藤原氏 やがて群雄割拠の戦乱へ
・前九年・後三年の役が終結し 花開いた黄金の平泉文化
・大崎氏と斯波氏の時代を経て 南部氏と伊達氏が台頭
・戊辰戦争での敗北から 紆余曲折ののち岩手県が成立

などなど、激動の岩手の歴史に興味を惹きつける。

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