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院内銀山と阿仁鉱山が支えた久保田藩、尾去沢鉱山が支えた盛岡藩!江戸時代の秋田県域の財政を支えた鉱山 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月17日

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院内銀山と阿仁鉱山が支えた久保田藩、尾去沢鉱山が支えた盛岡藩!江戸時代の秋田県域の財政を支えた鉱山

江戸時代の秋田県域では、鉱山から莫大な量の金、銀、銅が採掘されました。
久保田藩や盛岡藩は、積極的に鉱山経営に乗り出していきます。

院内銀山、阿仁鉱山、尾去沢鉱山は久保田藩と盛岡藩の財源になった

江戸時代の秋田県域は、その大半を久保田藩(秋田藩)が明治維新まで支配し続けました。そのほかの県域では、鹿角地方には盛岡藩領が広がっていました。

この久保田藩と盛岡藩の財政を支えたのが、秋田県域に存在した鉱山からの収入です。鉱山から産出される金・銀・銅は、幕府貨幣の原料としてだけでなく、長崎からの重要な輸出品目でした。

久保田藩初期のおもな鉱山

久保田藩初期のおもな鉱山
『図説 秋田県の歴史』(河出書房新社、1987年)を元に作成

佐竹氏は常陸にいた頃の鉱山支配の経験を生かし、秋田に入部(1602年)以降、院内銀山など次々と鉱山の開発を行っていきました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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