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麦島城は水際の要所に建てられた重要拠点

麦島城は、小西行長が肥後国南半分の藩主となった1588(天正16)年頃、家老の小西行重(ゆきしげ)に命じて、球磨川の三角州に築かせた城でしたが、そもそもこの地には海上交通の要所である徳淵津(とくぶちのつ)があり、古くは古麓城が存在していました。徳淵津は豊臣政権時代には豊臣の直轄地とされ、南蛮貿易の拠点であると同時に、水軍の拠点としても機能していたのです。
その麦島城は、関ヶ原の戦いで小西行長が処刑され、加藤清正が肥後一国の藩主となった後は、加藤家の支城となりました。そして1611(慶長16)年の加藤清正の死後、1612(慶長17)年には、江戸幕府により、加藤氏の家臣だった加藤正方(まさかた)が麦島城の城代家老に任じられました

麦島城が例外とされた理由とは?

それから3年後に一国一城令が出されたわけですが、そのとき、藩主となっていた加藤忠広(加藤清正の3男)の居城である熊本城に加え、この麦島城も例外として残されることとなりました。いったいなぜ、一国二城が許されたのでしょうか?
それについては、強大な勢力を保っていた薩摩藩や、隙あらば勢力を拡大しようとする人吉藩への備えとして、麦島城が必要だったというのが通説とされています。ですが、領内のキリシタン勢力への備え、あるいは異国船への備え、豊臣家とのつながりの深かった加藤藩の財政を逼迫させるためだった、など諸説あります。

麦島城の倒壊からまもなく加藤家は肥後国を去ることに

その麦島城が1619(元和5)年の大地震によって倒壊してしまいました。そこで加藤忠広は、幕府の許可を得たうえで、家臣の加藤正方(まさかた)に命じて球磨川河口北側の松江村(現・八代市)に松江城を築かせます。竣工したのは1622(元和8)年でした。

ところが1632(寛永9)年、加藤忠広は突然改易となり、出羽庄内藩主・酒井忠勝の預りとなってしまいます。
改易の理由は諸説あって定かではありませんが、加藤忠広が家臣団を統率できなかったためとも、法度違反のためとも、あるいは忠広が、江戸幕府3代将軍・徳川家光(いえみつ)が嫌っていた弟の徳川忠長(ただなが)と懇意にしていたためともいわれていますが、いずれにせよ、絶大な人気のあった加藤清正の子孫の存在は、江戸幕府が肥後を思うがままに支配するうえで、邪魔だったのではないでしょうか。

麦島城の倒壊後も一国二城が認められ、新領主が入城

そして、加藤忠広の改易にともない、熊本藩主を命じられたのは豊前国小倉藩2代藩主の細川忠利(ただとし)でした。細川忠利は熊本城に、松江城には父親の細川忠興(ただおき)が入城しました。それも、江戸幕府の意向を受けてのことだったとされています。

そして1645(正保2)年に細川忠興が没すると、細川家筆頭家老の松井興長(おきなが)が八代城に入城し、それ以後、八代は1870(明治3)年までの200余年にわたって、松井氏によって治められることとなり、松江城はいつしか八代城と呼ばれるようになりました。

加藤忠広のその後

ちなみに、酒井忠勝預りとなった加藤忠広は、その後、出羽国(でわのくに)丸岡(山形県鶴岡市)に1代限りの1万石を与えられ、一族を呼び寄せ、静かな余生を過ごして、1653(承応2)年に亡くなりました。

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