フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  九州・沖縄 > 大分県 >

鯛生金山は昭和初期に製錬所も次々に新設されゴールドラッシュを迎える

昭和初期に、鯛生金山は全盛期を迎えます。その頃は、満州事変による軍需と、ときの大蔵大臣である高橋是清(これきよ)の積極財政によって、景気が上向いていました。さらに、政府が金地金(きんじがね)の時価買い上げなどの産金奨励策をとったことも、産金量の急増につながりました。

採鉱量の増加にともない、処理能力の高い製錬所も次々に新設されます。1938(昭和13)年には、年間産出量約2.3トンを記録し、産出量日本一の金山となりました

鯛生金山は、大分県と福岡県にまたがって存在する鉱脈に5本の竪坑(たてこう)が掘られ、それらを水平坑道で結ぶ構造になっています。坑道の総延長は約110㎞、竪坑は地表から約700mの深さに達しており、従業員は3000人ほどにまで増えていました。このゴールドラッシュによって、村には映画館や飲食店が立ち並びました。

鯛生金山は太平洋戦争の影響で「保坑鉱山」に指定も休山に追い込まれる

ところが、太平洋戦争が始まると、武器の生産に必要な銅や鉄、錫(すず)などの鉱産物が重視されるようになり、反対に金の採掘は制限されていきます。
1943(昭和18)年に金鉱山整備令が出され、金山のうち、銅や鉛の製錬に必要な珪酸(けいさん)鉱を産出する「珪酸鉱山」のほかは、ほとんどが閉山となりました。そんななか、鯛生金山は将来的な再開を想定して保存する「保坑(ほこう)鉱山」に指定されますが、結局1944(昭和19)年には休山に追い込まれます。

その後は、砂鉄による純鉄生産やフェロマンガンの生産を行いました。この頃、徴兵によって労働者が減少したため、朝鮮からの移入労働者のほか、学徒挺身隊・勤労報国隊・国防婦人会などが労働力として投入されました。オーストラリア軍の捕虜が働いていた時期もあります。

鯛生金山の閉山と現在

終戦後の1956(昭和31)年、新鉱業開発と住友金属鉱山が共同出資する鯛生鉱業によって、金山の操業が再開されます。しかし、新しい鉱脈が見つからず、1972(昭和47)年に閉山しました。閉山するまでの約80年間に鯛生金山が産出した鉱物の量は、金約40トン、銀約160トンに及びます。

1983(昭和58)年、鯛生金山の坑道跡を地底博物館として整備・公開。現在、最上部の水平坑道のうち約800mや、深さ約510mの竪坑を見学することができます。2007(平成19)年には、佐渡金山と並んで、金山としては2カ所しかない「近代化産業遺産」(経済産業省が認定する文化遺産)に指定されました。

県境付近の山間部に鯛生金山はありました。現在は地底博物館となっており、旧坑道の見学や砂金採り体験ができます。

地底博物館鯛生金山

住所
大分県日田市中津江村合瀬3750
交通
JR久大本線日田駅からタクシーで1時間
料金
入坑料=大人1030円、中・高校生820円、小学生510円/砂金とり体験(30分)=620円/入坑券と砂金とりとのセット=大人1440円、中学生1230円、小学生1030円/

県の石「斧石」って何?

斧石(おのいし)とは、斧のように尖った黒紫色の結晶が見られる鉱物。大分と宮崎の県境近くの祖母山(そぼさん)麓にある尾平(おびら)鉱山で多く産出されます。
尾平鉱山は、この周辺に湧き上がった花崗岩マグマの熱によって生成された鉱床。マグマが冷え固まるときに放出されるホウ素を含むガスが、母岩と反応してできるのが斧石です。非常に硬く、産出量は多くありません。2016(平成28)年、日本地質学会によって「大分県の石」に選定されました。

『大分のトリセツ』好評発売中!

地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から大分県を分析!

大分県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。大分の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

Part.1 地図で読み解く大分の大地

・大分県の地形総論
・源泉数と湧出量で日本一を誇る 火山・断層・扇状地が生んだ別府温泉
・小さな火山島は見どころ満載!ジオアイランド姫島をぐるり1周
・山国川とその支流に連なる奇岩 名勝・耶馬渓はどうやってできた?
・阿蘇火山の大噴火がつくった!滞迫峡ほか豊後大野の超絶景
・さまざまな火山活動により生まれた火山群・くじゅう連山の正体
・かつてカルデラがあった痕跡!? 花崗岩が押し上げた祖母山の謎
・日田盆地を形成した地殻変動と幻想的な霧の発生メカニズム
・約3億年前の南洋で生まれた! 生産量日本一・津久見の石灰岩

Part.2 大分で動いた歴史の瞬間

・古代史総論/邪馬台国論争まで勃発!大分県に古代のクニはあったのか?
・全国八幡宮の総社である宇佐八幡神が成立するまで
・中世総論 豊前と豊後で大きく異なる支配体制
・国東半島で栄えた六郷満山文化
・大内氏と大友氏の覇権争い
・九州王となった大友宗麟の軌跡
・近世総論 大友支配の終焉と小藩分立
・豊後で栄えた海上貿易
・九州のオランダと呼ばれるまでに日田の金融業が発展したのはなぜ?
・近現代総論 大分県の成立と近代化の遅れ
・初代県令によって築かれた県都大分市の基礎

Part.3 大分で育まれた産業や文化

・別府温泉を一大観光地にした亀の井旅館・油屋熊八の功績
・寒村から日本一の温泉町に! 湯布院がやりとげた起死回生
・臨海部の再開発で景観が一変! 大分地区新産業都市の建設と発展
・関サバ・関アジはブランド化!豊後水道が全国屈指の好漁場なわけ
・昭和初期には産出量全国1位に!鯛生金山の開発・発展と現在
・もともとは粕取り焼酎だった!? 大分の焼酎が全国で人気のブランドに
・臼杵石仏や大分元町石仏など大分に築かれた石仏文化

『大分のトリセツ』を購入するならこちら

リンク先での売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  九州・沖縄 > 大分県 >

この記事に関連するタグ