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長州藩が財政難を乗り切り雄藩に成長した経済政策と人材育成 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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長州藩が財政難を乗り切り雄藩に成長した経済政策と人材育成

軍事力強化や政治改革を行うには、莫大なお金が必要となります。2カ国36万石の長州(ちょうしゅう)藩は、明治維新を実行するための資金をどのように捻出したのでしょうか。

長州藩は収入を増やすために殖産政策を実施

軍事力を強化し政治革命を実行するには、お金がいります。しかし長州藩の財源は潤沢ではありません。8カ国・112万石から2カ国・36万石に大幅減封されているため、石高(こくだか)の割に家臣団が多いのです。立藩当初から経済問題を抱えていた長州藩は、収入を増やすために行動を開始。厳しい検知で石高の向上を図り、収入源となる特産品を生産する殖産政策を実施しました。特産品として注目されたのが、米・塩・紙です。開拓や開作(かいさく)(干拓)を推奨して新田・塩田(えんでん)を開発。中山間部では和紙の製造に力を入れました。これらの特産品は「防長三白(ぼうちょうさんぱく)(後に、ろうが加わって防長四白(よんぱく))」と呼ばれ、長州藩に多大な収入をもたらしました。米は「長州米」として大坂に運ばれ、塩田での製塩は全国2位の規模に発展しています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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