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治水対策は日本が抱える大きな課題!暴れ川を治めてきた歴史を振り返る 123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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治水対策は日本が抱える大きな課題!暴れ川を治めてきた歴史を振り返る

長年、水害と向き合ってきた日本。気候変動が進む現代において、治水は喫緊の課題です。
江戸時代から取り込んできた治水対策には、今も役立っているものがあることをご存じですか?

治水対策の歴史:石狩川(北海道)

開拓以前の石狩平野には、石狩川が大きく蛇行しながら流れ、泥炭(でいたん)性の湿地が広がっていました。川は雪解けや大雨のたびに氾濫し、水分過多な土壌では農耕もできませんでした。とはいえ、石狩川は古くから水源、漁場、水運路として重要な役割を果たしており、開拓も石狩川を中心に進められました。北海道総面積の5分の1に相当する流域面積をもち、現在では流域内に北海道の人口の半分以上が住んでいます。流域がここまで発展した背景には、長い年月をかけて進められてきた治水事業があるのです。

明治はじめ、入植者たちは湿地の水を抜きながら着々と石狩川上流方面へ開墾を進めていました。しかし、1898(明治31)年に未曾有の大洪水が起きます。8月下旬から9月初頭にかけて豪雨が相次ぎ、支流の雨竜川(うりゅうがわ)や空知川、夕張川の周辺では、氾濫した水で琵琶湖ふたつぶんほどもある巨大な湖ができたといいます。

石狩川のおもな治水工事:「北海道第一期拓殖計画」の一環として本格的稼働

1918(大正7)年から、川の蛇行部をショートカットして直線化する「捷水路(しょうすいろ)」を建設。1969(昭和44)年までに、石狩川本川全29カ所の捷水路事業が完成しました。川の長さは約60㎞短縮され、洪水は減少。乏しい国家予算のなかで工夫しながら、築堤や護岸工事も行われました。こうして、石狩川下流の低地も利用が可能になりました。

1964(昭和39)年には河川法が改正され、「治水」のほか「利水」が目的に加わりました。桂沢(かつらざわ)ダム(三笠市)など、洪水調節だけでなく水力発電や用水供給の役割も果たす多目的ダムが建設されました。

石狩川の治水事業の詳しくはこちらの記事へ↓

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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