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【鄭成功と揺れ動く台湾】鄭成功、台湾へ

鄭成功が台湾に移ったあと、清は台湾海峡の封鎖を決めます。これは「遷界(せんかい)」、「海禁(かいきん)」と呼ばれる政策です。「遷界」とは沿岸部の住民を沿岸地域から遠ざける移住令で、「海禁」とは漁船や商船の出入港を禁止するものでした。

山東(さんとう)半島から広東(かんとん)までの沿岸部、特に福建(ふっけん)省では海岸線から約18㎞の範囲に近づくことが許されなかったのです。

大打撃を受ける鄭氏政権

これは、海上貿易によって財源を得ていた鄭氏政権に大打撃を与えました。

当時、オランダ人によって台湾南部の平原はサトウキビの単作地帯となっていたため、米が不足し、途端に食糧難に陥いります。鄭氏政権は急遽、開墾を奨励し、食糧の増産に努めました。開拓と警備を兼ね備えた屯田兵制が敷かれ、実際に農地の開拓は進んだのでした。

台湾南部には新営(しんえい)、林鳳営(りんほうえい)、柳営(りゅうえい)、下営(かえい)など、「営」という字の入った地名が見られますが、これは軍営や兵営があったことを意味するものです。

鄭成功、夢破れる

最終的に1683年、鄭氏政権は清に投降します。
ここに鄭成功が目指した明の復興という夢は破れたのです。3代続いた鄭氏政権は歴史の舞台から消え去り、台湾は清国の版図に組み込まれることになりました。

【鄭成功と揺れ動く台湾】清による台湾統治へ

清による台湾統治は消極的なものでした。清の台湾攻略はあくまでも反逆の芽を摘むことにあったからです。台湾は福建省のもとに置かれましたが、台湾への渡航は長らく禁止されました。つまり、台湾は依然として封鎖された状態に置かれたのです。

人口が増加する台湾

人口が増加する台湾
漢人移住者の多くは漳州(しょうしゅう)と泉州(せんしゅう)から台湾に渡りましたが、潮州(ちょうしゅう)や福州(ふくしゅう)辺りからの移民もいました。台湾到着後は沿岸部を伝って移動し、平野部に居住地を広げていきました。客家(ハッカ )系住民は時期的に遅れて移住したため沿岸部に住むことは叶わず、台湾の山麓部に集落を作りました。なお、最後に漢人が入ったのは蘭陽(らんよう)平野と花蓮(かれん)付近でした。

それでも、台湾に向かう密航者は絶えず、人口は増加します。
しばらくすると、移住者同士の闘争が頻発していきます。これは出身地や使用言語によってまとまるようになり、集団化していったためです。これを「族群(ぞくぐん)」といいますが、そこから利権争いが始まり、武力衝突が頻発しました。

これは「分類械闘(ぶんるいかいとう)」といわれ、特に時期的に遅れて台湾にやってきた客家(ハッカ)人は少数派であるがゆえ、結束が固くなっていきました。清の官憲もこういった住民の不仲を利用しながら統治を進めたため、闘争は絶え間なく続き、社会は困乱していきました。

【鄭成功と揺れ動く台湾】日本による台湾出兵

1871年、台湾は日本と接点を持ちます。

台湾南端部に漂着した宮古島の島民がパイワン族に惨殺される事件が起きたのです。日本は清に抗議しましたが、その返事は「台湾は王化に服さない蛮族の地、すなわち化外(けがい)の地である」として、責任を負わないと明言
これを受け、1874年に日本は台湾出兵を行います。これは日本にとって初の正規軍による外征であり、国家としての初の海外出兵でもありました。

【鄭成功と揺れ動く台湾】日清戦争へ

この頃、清の中央では洋務(ようむ)運動が力を持ちつつありました。これは1860年代に始まり、欧米の先進的な科学技術を導入し、国力増強を目指したもの。
洋務派は台湾を福建省から独立させ、巡撫(じゅんぶ)(知事)に劉銘傳(りゅうめいでん)を送り込みます。そして、1885年10月、台湾は清国20番目の省となったのです。

理想郷をめざす劉銘傳

この時代、多方面において発展の基礎が築かれましたが、劉銘傳が最も重視したのは軍事面の強化でした。
鉄道の敷設や福建沿岸部との連携、軍隊の再編、産業インフラや学堂の整備、電信ケーブルの敷設、そのほか郵便制度や電報の整備、炭鉱開発など、その幅は広いものでした。劉銘傳は妨害に遭いやすい清国の本土ではなく、新天地の台湾で自らの理想を形にしようとしたのです。

劉銘傳が台湾を離れた3年後に日清戦争勃発

しかし、劉銘傳は1891年に台湾を離れ、1894年には日清(にっしん)戦争が勃発
翌年に下関(しものせき)条約が締結されて台湾は日本の領土となりました。民衆は激しく抵抗しましたが、日本軍はこれを鎮圧しながら、統治体制を整えていったのです。日本統治時代の始まりです。

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【著者】 片倉佳史(かたくらよしふみ)

台湾在住作家。武蔵野大学客員教授。台湾を学ぶ会代表。1969年生まれ。
早稲田大学教育学部教育学科卒業後、出版社勤務を経て台湾と関わる。台湾に残る日本統治時代の遺構や建造物を記録するほか、古写真や史料の収集、古老や引揚者の聞き取り調査を進める。 著書に『台北・歴史建築探訪』、『台湾旅人地図帳』、『台湾に生きている日本』、『古写真が語る台湾 日本統治時代の50年』など。
台湾事情や歴史秘話、日台の結びつきなどをテーマに講演をこなすほか、ツアーの企画なども行なっている。

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