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【赤壁の戦い】曹操船団が大炎上

この状態を動かしたのは呉の黄蓋の奇策でした。黄蓋は曹操に降伏する意志を告げ、数十隻の船で曹操軍に近づきます。曹操軍もこれを待ち受けて油断したその時、黄蓋は船に火をつけ、火船を曹操船団に一斉に突っ込ませたのです。

船には油がしみ込んだ藁(わら)や薪(たきぎ)が積まれていたため、曹操軍の船団は大炎上。業火は岸辺の陣営まで飛び火します。そこへ周瑜が攻め込み曹操軍は成す術なく壊滅、曹操もかろうじて脱出しました。

こうして大敗を喫した曹操の天下統一の夢はついえます。一方で呉軍の後方に布陣していた劉備軍は戦いに参加することなく、無傷でした。

【赤壁の戦い】三国志演義では?~諸葛亮と周瑜の角逐~

『三国志演義』で道化役とされてしまった呉。その軍権を担っていた周瑜は、諸葛亮に対して激しく敵意を燃やし、たびたび殺害を試みようとします。

◉演義の赤壁の戦いでは6つの虚構の計略が語られます。

◉演義では周瑜と諸葛亮の確執が展開されました。

◉演義の周瑜は結婚を利用して劉備殺害を試みます。

【赤壁の戦い】三国志演義:「借東風」の解釈

赤壁(せきへき)の戦いにおいて、『三国志演義(さんごくしえんぎ)』は、「蔣幹盗書(しょうかんとうしょ)」、「草船借箭(そうせんしゃくせん)」、「苦肉(くにく)の計」、「連環(れんかん)の計」、「借東風(しゃくとうふう)」、「義釈曹操(ぎしゃくそうそう)」という六つの虚構を設けました。最も有名な第五の虚構「借東風(東風を借りる)」について、『三国志演義』は、諸葛亮(しょかつりょう)に「かつて不思議な人物より奇門遁甲(きもんとんこう)の天書を伝授され、風を呼び雨を降らせることができます」と述べさせています。

明(みん)代の道教(どうきょう)(中国の民俗宗教)の経典の一つ『秘蔵通玄変化六陰洞微遁甲真経(ひぞうつうげんへんげりくいんどうびとんこうしんけい)』には、諸葛亮が使ったという風を呼び、六丁(りくてい)・六甲(りくこう)の神兵を使い、縮地(しゅくち)の法(地面の距離を操(あやつ)る術)を行なう道術が記されています。『三国志演義』は、道教を背景としながら、虚構を構築しているのです。これに対して、道教信仰がない日本では、諸葛亮が「潮流と南国の気温の関係から起こる貿易風」を気象の観測で知っていたとされています。

【赤壁の戦い】三国志演義:諸葛亮の引き立て役にされてしまった周瑜

赤壁の戦い後、諸葛亮と周瑜(しゅうゆ)の荊州(けいしゅう)を巡る角逐(かくちく)は本格化します。周瑜は、劉備(りゅうび)に孫権(そんけん)の妹を娶らすことで、劉備を孫氏の婿として孫権の下に留めようとしました。『レッドクリフ』でも採用した孫尚香(そんしょうこう)という最も有名な呼び名は演劇で使われるもので、『三国志演義』では孫仁とされています。史書の『三国志』では、孫夫人と記されるのみで、名は不明です。

孫権は、周瑜の計に基づいて、劉備と孫夫人との婚姻を進め、劉備を呉に呼び寄せて殺害しようとしたが、失敗します。こうしてすべての策で諸葛亮に出し抜かれた周瑜は、「天はこの周瑜を地上に生まれさせながらなぜ孔明まで生まれさせたのだ」と言って絶命しました。

【赤壁の戦い】三国志演義:計略と周瑜の策謀

①蔣幹盗書(しょうかんとうしょ)
周瑜に投降を説きにやってきた蔣幹に、曹操軍に属す蔡瑁らが内応を約束する偽の文書を盗ませ、蔡瑁を殺害させます。

②草船借箭(そうせんしゃくせん)
諸葛亮が藁を敷き詰めた20隻の船で濃霧のなか出帆。魏軍がこれに大量の矢を打ち込んだため、諸葛亮はまんまと10万本の矢を手に入れます。

③苦肉の計(くにくのけい)
黄蓋(こうがい)の投降を曹操に信じさせるため、周瑜は将兵の前で自分に歯向かった黄蓋に逆上し、棒叩きの計に処します。これが間者によって曹操へ報告されました。

④連環の計(れんかんのけい)
周瑜の依頼を受けた龐統が曹操のもとへ入り込み、船と船を鎖でつなぐことで揺れを抑える献策を行ないます。曹操はこれを容れるも、船団は火計への対応力を失いました。

⑤借東風(しゃくとうふう)
北にある曹操の陣に火計を仕掛けるに当たって欠かせない東南の風を、諸葛亮が道教の術を用いて吹かせます。

⑥義釈曹操(ぎしゃくそうそう)
諸葛亮は、曹操から受けた恩義を気にしていた関羽をあえて曹操の逃走路に配します。結果、赤壁から敗走する曹操を華容道で待ち受けていた関羽は、意図的に曹操を見逃し、曹操への「義」が果たされました。

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群雄が割拠した三国志を勢力図で解説。正史vs演義、人気の三国志作品も徹底比較!

数多の武将たちが群雄割拠し、栄枯盛衰の理のもとに散っていった三国志。はるか昔の、しかも他国の歴史であるにも関わらず、日本ではマンガやゲームなど多くの作品の題材となり、どの世代も魅了している。本書では、三国志のなかでも重要な出来事や戦いを図説。なぜその土地が重要だったのか?その戦いがなぜそこで起こったのか?地図とともにみれば、三国志の本当の姿が見えてくる。また、正史としての三国志と、物語としての三国演義の比較、マンガや映画など人気作品を分析したコラムも三国志ファン必見!

【見どころ】目次より一部抜粋

■序章 三国志とはなにか?
【『三国志』と『三国志演義』】三国志といっても正史と演義のふたつが存在する
【日本人と三国志】江戸時代に始まる日本の三国志ブーム
【名士の社会】三国志の争いに大きな影響を与えた人々

■第1章 曹操の華北制覇
【黄巾の乱】太平道の張角が信徒を率いて蜂起! 群雄割拠の時代が幕を開ける
【董卓の死】子飼いの将に裏切られ命を落とした暴君
【呂布追討】呂布に徐州を奪われた劉備、曹操とともに呂布を討つ ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
董卓の死/曹操・劉備・孫権の人物像

■第2章 三国時代のはじまり
【三顧の礼】荊州にて不遇の日々を送る劉備、諸葛亮と出会う
【赤壁の戦い】業火が曹操の水軍を焼き尽くした三国志最大の戦い
【樊城の戦い】樊城を陥落寸前まで追い詰めた関羽、呉の寝返りにより麦城に散る!
【曹操の死】曹操の死と曹丕の即位が三国時代の幕を開ける ほか
~コラム~くらべて楽しむ三国志
三顧の礼/諸葛亮と周瑜の角逐/錦馬超/『孟徳新書』/関帝信仰

■第3章 諸葛亮の北伐
【曹丕の南征】弱体化した呉を狙うも敗退し、蜀呉同盟復活の契機となる
【第一次北伐】劉備の念願をかなえるべく、諸葛亮が長安攻略を目指す
【第五次北伐】魏の持久戦術に成す術なく、五丈原で諸葛亮の命が尽きる

■終章 三国時代の終焉
【蜀の滅亡】厭戦気分の高まる蜀になだれ込み、成都を強行軍によって占領した魏
【魏の滅亡】司馬氏に乗っ取られた魏、禅譲によって晋に取って代わられる
【呉の滅亡】暴君・孫晧の悪政に付け込んで一斉に晋軍が侵攻 ほか

監修者紹介

渡邉義浩(わたなべよしひろ)
1962年生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科史学専攻修了。早稲田大学文学学術院教授。専門は中国古代思想史。文学博士。主な著書に『三国志事典』(大修館書店)、『「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち』(講談社)、『三国志 演義から正史、そして史実へ』(中公新書)などがある。

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