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宮城県の成立までの歴史~伊達家の領地は没収と廃藩置県~ 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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宮城県の成立までの歴史~伊達家の領地は没収と廃藩置県~

戊辰戦争に敗れた仙台藩は、取り潰しは免れたものの、領地は3分の1に。
廃藩置県後に仙台藩は仙台県となりましたが、明治5年に宮城県と名称を変えました。

宮城県成立までの歴史①:仙台藩に下された戊辰戦争の処分

戊辰戦争に敗れた仙台藩は領地を一旦没収され、1868(明治元)年12月、新たに草高(くさだか)(穀物総生産高)28万石を与えられました。江戸時代の公式石高である表高式にすると、18万石程度であったといわれます。元長州藩士・世良修蔵を斬殺したことが影響していたかもしれませんが、新政府が仙台藩に下した処分は厳しいものでした。

領地没収と再編

伊達家に与えられた新領地は、名取、宮城、黒川、加美(かみ)、玉造(たまつくり)の5郡と志田(しだ)郡の一部のみ。それらは仙台藩の名称で伊達家が管理することになりました。

そのほかの領地は1869(明治2)年に、刈田郡、伊具郡、亘理郡、柴田郡などが白石県から角田県に、志田郡、遠田郡、登米郡が涌谷県から登米県に、東磐井郡、胆沢郡は胆沢県に、本吉郡、桃生(ものう)郡、牡鹿(おしか)郡は石巻県に、江刺(えさし)郡、気仙郡は江刺県になりました。

地方知行地の多くが、新政府の直轄地となったといっていいでしょう。新政府は、北上川・阿武隈川流域の豊かな穀倉地帯を手に入れて財源とし、各知行地の館主は、領地を没収されて路頭に迷うことになってしまいました。その混乱は、察するに余りあります。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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