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徳一と最澄との激論

徳一は奈良の興福寺で学び、奈良時代に興隆した南都六宗(なんとろくしゅう)の中心学派・法相宗(ほっそうしゅう)の第一人者です。

会津入りは平安時代初期の807(大同2)年とされ、同じ頃、唐に留学していた最澄空海が帰朝し、それぞれ天台宗、真言宗の新仏教を開きました。この平安仏教の二大開祖に、旧仏教を代表する論客として敢然と挑んだのが徳一です。

とくに最澄との 「三一権実論争(さんいちごんじつろんそう)」は有名で、「すべての人が悟りを開ける」という最澄の一乗論に徳一が反論。法華経(ほけきょう)(天台宗)の正統性を問い、最澄の死まで著作の応酬による激論が繰り広げられました。

また、南都仏教に融和的な空海に対しても「真言宗未決文(しんごんしゅうみけつもん)」を送り、真言宗の教義に疑義を唱えています。

徳一が磐梯山の麓に開いた慧日寺

徳一は会津での布教の拠点となる慧日寺(えにちじ)を 磐梯山(ばんだいさん)の麓に開きました。磐梯明神を守護神とし、古来の磐梯山信仰と仏教が深く融合した独自の信仰を築き、会津仏教文化発祥の地とされます。

さらに徳一は中央薬師勝常寺(やくししょうじょうじ)(湯川村)、西方薬師調合寺(ちょうごうじ)(会津坂下町(あいづばんげまち))などの 会津五薬師をはじめ、多くの寺院を開き、仏教文化を広めていきます。

慧日寺は平安時代を通じて栄え、平家の庇護の下で勢力を拡大します。盛時には寺領18万石、寺僧300、子院3800坊を数え、僧兵数千人を擁する大伽藍(だいがらん)を形成したといいます。

慧日寺の廃寺と復元中の現在

ですが、平家の没落とともに衰退が始まり、戦乱や火災などによる焼失と再建を繰り返し、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により廃寺になりました。

広大な寺跡は1970(昭和45)年に国史跡に指定され、現在は発掘調査の結果を元に、磐梯町が復元に取り組んでいます。すでに鮮やかな朱色の金堂や中門、本尊の薬師如来坐像が1200年の時を経て甦り、いにしえの信仰の場を体感できます。講堂や食堂(じきどう)も復元予定です。

慧日寺をはじめ仏都会津を象徴する会津三十三観音

慧日寺から始まり、由緒ある寺院が点在する仏都会津を象徴するのが、会津三十三観音です。三十三観音巡りとは、定められた33カ所の観音霊場を巡拝すること。参勤交代のため街道整備が進み、道中の食事や物見遊山の楽しみもあり、伊勢参りや熊野詣(くまのもうで)、西国(さいこく)三十三所巡礼が江戸時代に全国各地の庶民のあいだで流行しました。

1643(寛政20)年に初代会津藩主となった保科正之(ほしなまさゆき)は多額の資金の流出を案じ、領外の巡礼を禁じるいっぽう、領内の巡礼のために会津三十三観音を定めました。街道や宿駅の整備を推進し、領内外の多くの人々が巡礼に訪れました。

その後、一周すると三十三観音参りができる特異な構造の「さざえ堂」こと「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」(会津若松市)など、多彩な三十三観音がつくられていきます。

往時の巡礼気分を味わえる「会津三十三観音めぐり」は2016(平成28)年度、文化庁の日本遺産に認定されました。大らかな信仰が息づく仏都・会津は今も人々を魅了してやみません。

会津三十三観音の札所

会津三十三観音の札所

会津藩祖・保科正之が定めた会津三十三観音と番外3札所。信仰と娯楽を兼ねた巡拝は人気を集め、ブームとなりました。

会津の守り神「赤べこ伝説」

会津地方の郷土玩具・赤べこ。べこ=牛の意で、平安時代の疫病退散、円蔵寺(えんぞうじ)(柳津町(やないづまち))の再建に尽力など、赤い牛の由来は諸説あります。1590(天正18)年に会津領主となった蒲生氏郷(がもううじさと)が武士の副業として奨励し、京都からの職人に作らせたのが始まりといいます。

赤べこを持っていた子は流行病に感染しなかったとの伝承があり、疫除けや縁起物として親しまれています。

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日本の各県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。福島の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

Part.1:地図で読み解く福島の大地

・阿武隈山地や奥羽山脈が境目!浜通り・中通り・会津の3地域
・いわきで発掘された首長竜化石フタバスズキリュウとは?
・福島市がぽっかり入る福島盆地はどうやってできた?
・福島発展の礎を築いた常磐炭田
・磐梯山の大噴火と裏磐梯・五色沼湖群の形成
・猪苗代湖畔からウニ化石!?劇的な会津の地形の成り立ち
・石川町が日本三大産地のひとつ ペグマタイトとはどんな岩石?
・大改修から100年が経過 暴れ川・阿武隈川の今と昔

などなど福島のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2:福島を駆け抜ける鉄道網

・東北本線旧線の黒磯~白河間には明治時代の面影が残されている!?
・日本最大のC62形SL牽引「ゆうづる」が走った常磐線
・かつては東京と新潟を結ぶ架け橋、会津地方の大幹線・磐越西線
・東京・浅草から特急が直通しトロッコ列車も走る会津鉄道
・かつて硫黄輸送で活躍した猪苗代町の沼尻鉄道とは?
・只見川に架かる数々の鉄橋ほか 魅力いっぱい絶景鉄道・只見線

などなど福島ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3:福島で動いた歴史の瞬間

・人間の歯や骨をペンダントに!?原始福島の不思議な弔い
・東北地方最古の前方後円墳!会津大塚山古墳が示す会津の力
・浜通りに古代製鉄遺跡を発見! なぜ大規模な製鉄が行われた?
・中世史総論(関東武士が進出し国盗り合戦!白河・伊達・蘆名・岩城氏の攻防)
・南北朝時代に南朝が拠点とした幻の寺院城郭・霊山寺とは?
・伊達氏のルーツは福島にあり!奥州制覇を果たす道のり
・相馬地方を約700年統治した古豪・相馬氏とはどんな一族?
・奥州きっての城下町・若松はどのようにして生まれた?
・会津若松城で籠城戦を続けた会津藩が開城に至るまで

などなど、激動の福島の歴史に興味を惹きつける。

Part.4:福島で育まれた産業や文化

・最澄と大論戦した僧・徳一が開祖!慧日寺から始まった会津の仏教文化
・猪苗代湖の水を郡山へ! 幹線延長52㎞の安積疏水事業
・県境には二ツ小屋隧道が残る 福島と米沢を結んだ万世大路
・東北唯一の中央競馬場が福島市につくられたわけ
・幕府直営の半田銀山 明治時代は五代友厚が経営
・感染症と闘い続けた細菌学者・野口英世の生涯
・日本酒の金賞受賞数日本一!福島の地酒はなぜすごい?

などなど福島の発展の歩みをたどる。

ほか、巻頭「空撮グラビア」、テーマ別地図、コラム「データでわかる全59市町村」(人口、所得、農業・漁業)、吉田初三郎が描いた福島県の鳥瞰図 など

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