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足利義教がついに暗殺される!~ 嘉吉の乱~

【要点はココ!】
◎足利義教は守護大名への圧迫を強めていきます。
◎粛清を恐れた赤松満祐に暗殺され、足利義教の恐怖政治は終了しました。

足利義教は守護大名に暗殺される

永享の乱で鎌倉府を滅ぼした6代将軍足利義教。彼はその後も暴走し続けました。

1440(永享12)年5月、一色義貫(いっしきよしつら)土岐持頼(ときもちより)が暗殺されます。どちらも有力な守護大名で、足利義教に反抗的な姿勢をみせていたことで標的にされたとみられています。この事件の後、人々は「次の標的は赤松満祐(あかまつみつすけ)だろう」と噂しました。

それまで赤松満祐と足利義教の関係は良好でした。しかし、赤松満祐は侍所所司(さむらいどころしょし)の職を罷免(ひめん)されたり、弟の赤松義雅(よしまさ)も所領を没収されるなど、次第に足利義教による圧迫を受けるようになります。

このままでは自分は殺され、所領も没収される――。そう考えた赤松満祐は反撃に出ます。1441(嘉吉元)年6月24日、自邸の宴席に足利義教を招き、足利義教を斬殺したのです。

守護大名による将軍暗殺という前代未聞の大事件でしたが、人々は「自業自得」「将軍の犬死」と足利義教を嘲笑しました。

足利義教が赤松満祐に暗殺された4つの要因

①所領没収の噂
赤松満祐が治める3カ国のうち播磨と美作の守護職没収の噂が立ちます。

②守護大名の暗殺
守護大名の一色義貫や土岐持頼が暗殺されます。

③謹慎処分
赤松満祐が侍所所司の職を解かれ、謹慎を命じられます。

④弟の所領没収
赤松満祐の弟・義雅が所領を取り上げられます。

「万人恐怖」といわれる政治を行っていた足利義教は、守護大名赤松満祐を圧迫しすぎたことで暴走を招き、最後は彼に暗殺されてしまいました。赤松満祐を追い込んだとされる要因は4つです。

足利義教の暗殺は赤松満祐の自害で一件落着

その後、赤松満祐は足利直冬(ただふゆ)(尊氏の子)の孫義尊(よしたか)を奉じて幕府に抵抗。足利義教を失い混乱に陥っていた幕府も、遅まきながら細川持常(ほそかわもちつね)山名持豊(やまなもちとよ)らを討伐軍として送り出し、赤松満祐を自害に追い込みました。

こうして嘉吉の乱は幕を閉じ、足利義教の幼い息子義勝(よしかつ)が7代将軍に据えられたのです。

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見どころ―目次から抜粋:鎌倉時代

■源氏の挙兵/宿命のライバル、平氏と源氏が全国各地で戦を繰り広げる
■一ノ谷の戦い/平氏の野望を打ち砕く 源義経の奇襲「鵯越の逆落とし」
■壇ノ浦の戦い/日本史上初の本格的海戦が勃発 戦局を左右したのは潮の流れ!
■奥州合戦/源平合戦で大活躍した源義経を兄の頼朝が排斥した理由とは?
■鎌倉幕府成立/全国に守護が設置され、頼朝の征夷大将軍任命で幕府が成立!
[中世史の最前線]あの肖像画は将軍ではない?源頼朝の本当の顔
■幕府の統治機構/封建制のはじまりとなった鎌倉幕府の統治システム
■13人の合議制/カリスマ源頼朝の死後、幕政の主導権を握った13人とは?
■比企能員の乱/「13人」のメンバーの北条時政が粛清の嵐で源氏将軍の独裁を阻む
■和田合戦/鎌倉で大規模な市街戦が勃発!北条義時と古参の御家人の戦い
■将軍断絶/3代で途絶えた源氏将軍の系譜 ますます勢いを増す北条氏の権勢
■後鳥羽上皇の企み/目指すは公武合体による親政 後鳥羽上皇がついに動き出す!
[中世史の最前線]言葉のイメージはよくないが、院政は悪いシステムではなかった?
■承久の乱/公武の力関係を大きく変える中世最大級の大乱が起こる!乱の結果、幕府が勢力を拡大し、公武二元体制を終わらせた
■執権政治/武家政権を安定させたのは稀代の名執権・北条泰時!
■文永の役/日本侵略の危機!そのとき幕府はどう動いた?
■弘安の役/モンゴル軍が再び襲来するも、またもや暴風雨によって失敗!
[中世史の最前線]元寇で「神風」は吹いたのか、吹かなかったのか?
■鎌倉新仏教/上流階級から庶民のものへ……次々に誕生した新しい仏教宗派
[中世史の最前線]鎌倉新仏教と旧仏教はどんな関係だった?
■得宗専制政治の確立/将軍にならず得宗として権力を掌握した北条氏一族
■両統迭立/皇位継承が不安定に……皇統が持明院統・大覚寺統に分裂!
■正中の変・元弘の変/幕府に戦いを挑み、2度も失敗……それでも信念を貫いた後醍醐天皇
■鎌倉幕府の滅亡/幕府方の足利高氏が謀反!新田義貞も活躍し幕府が滅びる

見どころ―目次から抜粋:室町時代

■建武の新政/武家軽視の方針が仇に……挫折した後醍醐天皇の夢
■中先代の乱/ついに後醍醐天皇と決別!政府打倒を目指す尊氏
[中世史の最前線]黒い馬にまたがる騎馬武者は足利尊氏ではない?
■南北朝の分立/朝廷が分裂して天皇も2人に!北朝と南朝の攻防がはじまる
■観応の擾乱/尊氏と直義の骨肉の争い!史上最大の兄弟喧嘩の顛末は?
■将軍権威の確立/武家と公家両方の頂点に立ち、幕府を全盛期に導いた足利義満!
■幕府統治機構の確立/鎌倉幕府を踏襲した統治機構が義満の時代にようやく確立する
■南北朝合一/南北に分裂していた朝廷が約60年のときを経てひとつに!
■日明貿易/優先すべきは名より実 巨大ビジネスをものにした義満
[中世史の最前線]足利義満は本当に天皇の地位を奪おうとしていたのか

著者紹介

山田 邦明(やまだ・くにあき)
1957年、新潟県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。東京大学史料編纂所教授などを経て、現在愛知大学文学部教授。日本中世史を専門とする。主な著書に『鎌倉府と関東』(校倉書房)、『日本の歴史8 戦国の活力』(小学館)、『日本中世の歴史5 室町の平和』『戦国のコミュニケーション』『人物叢書 上杉謙信』(以上、吉川弘文館)、『日本史のなかの戦国時代』(山川出版社)、『鎌倉府と地域社会』(同成社)などがある。

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