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鳥取城を「飢え殺し」にした羽柴秀吉の攻めは飢餓地獄を引き起こした 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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鳥取城を「飢え殺し」にした羽柴秀吉の攻めは飢餓地獄を引き起こした

飢え殺しといわれるほど凄惨を極めた織田軍による毛利軍への鳥取城攻めは、羽柴秀吉の狡猾な策謀がいかんなく発揮された戦いでした。

鳥取城の籠城戦は、地獄絵図。羽柴秀吉による「飢え殺し」

羽柴(豊臣)秀吉は天下統一を成し遂げるまでに、「高松の水攻め」「三木の干殺し」「鳥取の飢(かつ)え殺し」と呼ばれる3つの過酷な城攻めを行っています。なかでも鳥取城の籠城戦は、地獄絵図と称されるほど過酷な戦いだったと伝えられています。

天正8(1580)年、織田信長の中国攻めの任にあった秀吉は、軍師・黒田官兵衛とともに鳥取城を2度攻略。「飢え殺し」として有名なのが第2次鳥取城攻めのことです。1度目は因幡国守護の山名豊国が降伏して信長に臣従したものの、毛利勢が盛り返して再び反旗を翻したため、秀吉は2度目の攻城戦を開始しました。

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