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足利義教は万人恐怖政治を行った魔の将軍だった

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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足利義教は万人恐怖政治を行った魔の将軍だった

くじ引きで選ばれた6代将軍足利義教は、在職中に有力守護や公家を圧迫したり、意に沿わない者を次々に誅殺するなどしたため、その治世は「万人恐怖」と呼ばれることになりました。

足利義教はくじの力で最高権力を与えらる

【要点はココ!】
◎くじ引きが将軍の選出方法として採用されていました。
◎6代将軍足利義教は恐怖政治で人々を支配しました。
◎足利義教の恐怖政治に誰もが震え上がっていました。

足利義教はくじ引きで選ばれた将軍!

4代将軍足利義持は、後継者を指名せずに亡くなりました。義持には義量(よしかず)という男子がおり、5代将軍になっていたのですが、すでに病死していたため、6代将軍は義持の4人の弟のなかから選ばれることになりました。

その選出方法は、なんとくじ引き。当時はくじが神の真意と考えられていたのです。

武家と縁の深い八幡神を祀る石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)でくじを引くと、そこに書かれていたのは出家していた義円(ぎえん)の名で、彼は還俗(げんぞく)して1429(正長2)年に6代将軍足利義教(よしのり)となりました。「くじ引き将軍」の誕生です。

足利義教は就任後しばらくは健全な政治を行っていました。しかし、突然将軍になり、確固たる権力基盤をもたなかったせいか、やがて万人恐怖の専制政治をはじめてしまいます。

足利義教は恐怖政治で抵抗勢力を押さえ込む

比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を焼き討ちにしたり、有力な守護大名の家督相続に介入したり、一色氏や土岐氏を誅殺したり、管領の任務を制限したり……。足利義教の傍若無人なふるまいはいくつも伝えられています。

日本にも暴君といわれる為政者がいましたが、将軍という立場にあって、これほど残酷で非情な仕打ちを行う者はそういません。足利義教は恐怖政治を続けることで人々を追従させて将軍権力を強化していったのです。

足利義教による恐怖政治

・歴代政権を悩ませてきた延暦寺を焼き討ちします。

・有力な守護大名である斯波氏・畠山氏・山名氏・赤松氏・京極氏・大内氏の家督相続に介入。一色氏と土岐氏は当主を誅殺しました。

・室町第の新築工事の際、献上された梅の枝が折れたため、8人を切腹などに処します。

・虐殺の噂話をしていた延暦寺の僧侶を斬首にします。

・吉野山中で抵抗を続けていた南朝の残党を壊滅に追いやります。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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