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明智光秀の戦略地図~外交に軍功と多方面で能力を発揮し、織田家の出世頭となる

美濃(みの)の豪族出身とされる明智光秀(あけちみつひで)は、朝倉家(あさくらけ)家臣として歴史に登場します。朝倉家の保護下にいた足利義昭(あしかがよしあき)織田信長を仲介し、その上洛を助けて信長の家臣となります。

以降、信長の下で頭角を現わし、「金ヶ崎(かねがさき)の退(の)き口(ぐち)」羽柴秀吉(はしばひでよし)とともに殿軍(しんがり)を務めるなど数々の軍功に加え、朝廷との折衝(せっしょう)など、外交でも功績をあげ、元亀2年(1571)に近江坂本城(おうみさかもとじょう)主となります。信長家臣のなかでは、初の一国一城の主となる出世頭でした。

以降、遊撃軍団を率いて畿内各地を転戦しつつ、反信長勢力の根強い丹波(たんば)、丹後(たんご)を攻略し、丹波一国を任されています。

明智光秀の戦略地図~本能寺の変は無計画だった?味方が集まらないまま秀吉との決戦へ

かくして、信長のナンバー2に上り詰めた光秀でしたが、天正10年(1582)6月2日、突如反逆して本能寺(ほんのうじ)の変を起こし、信長を自害へと追い込みます。

光秀の反逆の理由は諸説あっていまだ不明ですが、当時も想定外の出来事だったことは、信長が少人数で宿泊していたことからも明らかです。

ただし、この謀反には計画性が乏しく、京を抑えて細川藤孝や筒井順慶など親交のある人々に協力を求めましたが、同調する者はほとんど現われず、兵力不足のまま、山崎で羽柴秀吉を迎え撃つことになります

戦国の豆知識:明智光秀の戦略地図

光秀は福知山城付近を流れる由良川の治水工事を成功させ、年貢軽減策に取り組むなど、内政面でも優れた功績を残しています。

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『地図でスッと頭に入る戦国時代』本書の特長

イラストや写真を使ったわかりやすい地図と図解で、下克上を繰り広げた複雑な戦国史が一目瞭然!
武将たちの戦略と合戦の布陣をビジュアル化!戦国時代を舞台にした小説・映画・ドラマがより一層楽しめる
群雄割拠した武将それぞれの戦いをトーナメント表にした巻頭特別折込付録

『地図でスッと頭に入る戦国時代』見どころ

【〝北条早雲〟の伊豆制圧―1493年】
地図:北条早雲の台頭を許した関東の情勢(北条早雲の関東進出の戦略がわかる)
【鉄砲伝来―1543年】
地図:火縄銃の波及(種子島に伝来した新兵器が多方面に広まっていく様がわかる)
【三好政権―1549年】
地図:三好政権の支配地(信長以前の畿内を支配した政権のしくみと失敗の構造がわかる)
【キリスト教伝来―1549年】
地図:イエズス会の布教体制(教区)(カトリックの布教体制とキリシタン大名の関係がわかる)
【桶狭間の戦い―1560年】
地図:合戦後の東海情勢(義元没後に起こった今川家崩壊の過程がわかる)
【第4回川中島の戦い―1561年】
地図:疑問だらけの大会戦(川中島の戦いに関する通説のウソがわかる)
【堺の降伏―1569年】
地図:堺の硝石と金(信長が畿内進出後真っ先に堺を押さえた理由がわかる)
【長篠の戦い―1575年】
地図:長篠の戦い戦況図(武田軍を鉄砲の前へ誘き寄せた信長の高度な戦術がわかる)
【大坂の夏の陣―1615年】
地図:徳川軍の進軍経路と大坂の陣(なぜ大坂城の南側が戦場となったのか?がわかる)

『地図でスッと頭に入る戦国時代』監修者

小和田哲男(おわだてつお)
1944年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。現在、
静岡大学名誉教授。(公益財団法人)日本城郭協会理事長。専門は日本中世史。著書に
『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK 出版)、『戦国武将の生き方死に
ざま』(新人物往来社)、『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(ミネルヴァ書房)
など多数。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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