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小牧・長久手の戦い~秀吉の武力鎮圧を断念させた家康の本領

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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小牧・長久手の戦い~秀吉の武力鎮圧を断念させた家康の本領

天下人の時代
本能寺の変の衝撃が日本全国を駆け巡ります。これにいち早く反応し、時を得た秀吉は天下統一へと邁進し、ついに戦乱を収束させます。だが、その天下は長くは続きませんでした。果たして戦国最後の勝者は誰か!?戦国の終焉を飾るファイナルラウンドが始まります!

徳川家康は秀吉の作戦を逆手に取って逆襲し、秀吉に一泡ふかせることができましたが、秀吉のなりふり構わぬ懐柔策の前に家康は、雌伏を決意します。

小牧・長久手の戦い:秀吉の作戦を逆手に取って逆襲し一泡ふかせた家康

織田信長の死後、その後継者の座を手に入れた羽柴秀吉が、天下人への道を歩もうとしていました。

これに不満を抱いたのが、信長の同盟相手で、5か国の太守でもある徳川家康と、信長の次男信雄です。家康は秀吉に従うつもりはなく、信雄と連携をとりつつ天正12年(1584)、秀吉と小牧・長久手の戦いに突入します。

初戦で家康は犬山城(いぬやまじょう)を落とされましたが、羽黒(はぐろ)の戦いでは徳川方の酒井忠次(さかいただつぐ)が森長可(もりながよし)を破っています。その後、家康が小牧山を、秀吉が楽田(がくでん)を本陣として膠着(こうちゃく)状態に陥ると、4月7日、秀吉が別動隊に家康の本国三河を攻撃させる中入(なかいり)作戦を決行しました。

しかし、家康はすぐ様これを見抜き、先回りして、途中の長久手で別動隊を挟撃(きょうげき)してこれを壊滅(かいめつ)させたのでした。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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