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島原半島ユネスコ世界ジオパークは火山活動で形成されたダイナミックな地形

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年4月13日

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島原半島ユネスコ世界ジオパークは火山活動で形成されたダイナミックな地形

1990年11月の普賢岳(ふげんだけ)の噴火は記憶に新しいところです。
198年ぶりの噴火でしたが、雲仙は50万年前から火山活動を開始、有史以来人々は火山とともに生きてきました。

島原半島は世界ジオパークとして日本初の認定

島原半島は2009年8月22日、日本で初めて世界ジオパークに認定されました。ジオは大地や地球のことを指し、ジオパークは「大地の公園」を意味します。

2015年、世界ジオパークがユネスコの正式事業になると同時に、島原半島は日本初の「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されました。島原半島ユネスコ世界ジオパークのテーマは「人と火山の共生」です。

ジオパークとして認定された島原半島の形成

1500万年前、大陸にくっついていた日本列島は、日本海の誕生とともに分かれ、列島化しました。この頃から、現在の長崎県周辺で火山活動が活発化しています。

430万年前の鮮新世になると、島原半島の早崎(南島原市口之津(くちのつ)町)付近で玄武岩活動が始まっています。第四紀には口之津層群が堆積し、50万年前から雲仙火山が噴火を始めます

その頃はいくつかの火山が集まった火山島がありましたが、やがて現在の諫早とつながり、島原半島が形成されました。

島原半島の成り立ち:約50万年前


約50万年前に雲仙火山が活動を開始、現在の小浜温泉と雲仙温泉の間付近と推定されます。マグマ全体が泡立つような激しい噴火を繰り返し、広く火砕流を流下しました。

島原半島の成り立ち:約40万年前


噴火活動が少し北側に移動し、鉢巻山が形成されました。大量の土砂が山の北側にもたらされ、扇状地が発達、その一端が諫早とつながり、島原半島となりました。

島原半島の成り立ち:約30万年前


マグマの噴出が続くが、半島中央部の雲仙地溝はそれをしのぐ勢いで沈みます。火山体は地中に沈み、中央部に海水が入ることでマグマ水蒸気爆発が起き、溶岩ドームが形成されました。

島原半島の成り立ち:約15万年前~


15万年前から現在まで続く火山活動は、火山体の形成とその崩壊が特徴。15万年前から野岳火山が急速に成長し、複数の火砕流を広範囲に流しました。

島原半島ジオパークの雲仙火山

雲仙火山は島原半島の中央部の普賢岳を中心とする複数の山々の総称です。裾野を含めた大きさは東西20㎞、南北25㎞にもおよびます。

火山帯の中央部には東西に走る断層群からなる雲仙地溝があり、現在も南北に拡大、沈降し続けています。

雲仙火山は年代的に古期雲仙火山新期雲仙火山に分けられています。新期雲仙火山活動は半島中央部から東側で約10万年前から始まり、野岳、妙見岳、普賢岳の各火山を次々と形成しました。

雲仙火山の地質

約10万年前から活動を始めた新期雲仙火山の山体は、デイサイトや安山岩の溶岩ドームや厚い溶岩流を主体としています。裾野には火砕流、岩屑なだれや土石流などの堆積物が広がります。

島原半島ジオパークのテーマ「人と火山の共生」:普賢岳の地形と噴火の足跡

普賢岳は有史以降、3回噴火しています。1回目は寛文3(1663)年、普賢岳の北東山腹から古焼(ふるやけ)溶岩が流出しました。

続いて2回目が寛政4(1792)年に発生したより大規模な噴火で、火山災害としては日本最多の死者数を出しました。まず同年2月に溶岩が噴出し4月から地震が頻発。5月21日には島原市の西にある眉山の直下でマグニチュード6.4と推定される地震が発生し、眉山の南側半分が崩壊します。その崩壊により発生した岩屑なだれは、人家や田畑を巻き込み有明海にまで流れ込みました。その大量の土砂により、有明海では大津波が発生。津波は島原城下で高さ10mにまで達し、多くの家屋を流しました。

この災害がのちに「島原大変肥後迷惑」といわれるようになるのは、対岸の熊本や天草沿岸にも10mに達する津波が押し寄せ、島原半島で約1万人、熊本(肥後)・天草で約5000人もの死者・行方不明者を出したからです。

崩れ落ちた山塊は当時の島原港を埋め尽くし、海岸は最大で約800mも前進しています。山林の一部は樹木をつけたまま滑り落ちて流れ山となり、現在島原港に点在する九十九(つくも)島はその名残です。

地震後10日を過ぎた頃から城下町の白土町・堀町・万町一帯で地下水が湧き出し、現在も名水として親しまれています。

島原半島ジオパークのテーマ「人と火山の共生」:普賢岳3回目の噴火による大被害

元号が平成に改元された翌年の1990年11月17日、普賢岳が198年ぶりに噴火を始めました。この1年ほど前から普賢岳の西にある橘湾を震源とする群発地震が発生し、次第に東に移動しながら、やがて火山性微動も発生していました。

1991年2月12日、マグマ水蒸気爆発に移行して激しい降灰をもたらし、降雨で土石流が発生します。同年5月20日、地獄跡火口から溶岩ドームが出現して火砕流や土石流を引き起こしました

普賢岳の溶岩は粘り気が強く、成長する溶岩ドームの一部が崩れることで火砕流が頻発。6月3日、大きな火砕流が発生し、東側の島原市上木場地区を襲います。多くの家屋が消失・倒壊し、死者・行方不明者は43人にのぼりました。

さらに9月15日、最大規模の火砕流が発生、大野木場小学校を含む218棟が焼失。その後も大雨により発生した大規模な土石流が水無川や中尾川の流域で氾濫し、大きな被害を出しました。

噴火災害

噴火災害

火山活動は地下水を含んだ土砂を噴き上げるところから始まりました。その後、多量の火山灰を放出し火砕流が発生、時速100㎞以上で流れ下ります。

地すべり的大崩壊の後、マグマが発泡し噴石を飛ばします。湧き出た溶岩は山頂付近に不安定な溶岩ドームを形成、崩落して火砕流が集落を襲いました。

島原半島ジオパークのテーマ「人と火山の共生」:普賢岳の火山活動の停止と現在

1995年2月、ようやく溶岩ドームの成長が止まり、火山活動はほぼ停止したとの見解が発表されました。

約4年半にわたる噴火災害の経験を無駄にしないため、被災地では防災イベントが開催されているほか、将来の噴火に備えた観測や防災監視システムの導入などが積極的に進められ、土石流防止の砂防事業では無人化施工も行われています。

島原半島ユネスコ世界ジオパークの見どころ

島原半島ユネスコ世界ジオパークの見どころ

島原半島全体に見どころが点在しており、地球活動の様子やそこで生まれた人々の歴史・文化を観察することができます。

千々石(ちぢわ)断層
千々石断層は島原半島で最大の大地の裂け目です。千々石展望台から見る雲仙岳は、裾野が断層により切られ、ずれている様子がわかります。これは九州を南北に引っ張る力によって断層の裾野が切られ、ずれたものです。

白土湖(しらちこ)
白土湖は眉山の崩壊により窪地に湧き水が溜まってできました。現在も水が湧いています。白土湖からの排水路は勾配がゆるく、せせらぎがほとんど聞こえないため音無川と呼ばれます。

がまだすドーム
平成噴火とその災害を疑似体感しながら学ぶミュージアム。島原半島ユネスコ世界ジオパークに関する情報などが展示されています。

龍石海岸
約50万年前の雲仙火山活動の最初期の地層が目の前で見られます。クリーム色の地層が50万年前のもので、その後の山の成長がわかります。

原城跡
寛永14(1637)年の島原・天草一揆の最後の激戦地となった地で、世界文化遺産に登録されています。城のある高台の上半分は、約9万年前の阿蘇山の火砕流の堆積物。

早崎半島
約430万年前、島原半島が海底火山の噴火で誕生した。鉄分を多く含む玄武岩から生じた赤い土が広がるじゃがいも畑などが見どころです。

両子(ふたご)岩
島原半島西部の海岸に立つ岩塔。約150万年前に存在した火山の裾野の一部。以前は同様の岩が2つありましたが、片方は大正時代に崩れました。

国崎半島
国崎半島の海岸には、土石流の地層と、厚さ数10mに達する安山岩が露出しています。これは約150万年前に存在した火山の裾野の一部です。現在は、その裾野を利用して作られた段々畑が見られます。

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