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長崎海軍伝習所における人材育成!近代化の鍵は優秀なオランダ教師団にあった! 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年5月13日

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長崎海軍伝習所における人材育成!近代化の鍵は優秀なオランダ教師団にあった!

開国を強く迫る米国などの要求に苦慮するなか、オランダは日本の将来の開国に向けてある提案をします。
それは海軍伝習所の開設による人材育成でした。

長崎海軍伝習所が設置された当時の国内外の情勢

19世紀になると、鎖国日本に開国を求める諸外国の動きが激しくなりました。米国のペリー提督が浦賀に来航したのは嘉永6(1853)年でしたが、19世紀前半にはイギリスやロシアなどの船が日本に姿を見せ始めます。

幕府は文政8(1825)年異国船打払令を出しましたが、天保13(1842)年には打払令を廃止しました(天保の緩和令)。

長崎海軍伝習所の設置

ペリー提督が浦賀に来航した翌年の安政元(1854)年に、幕府は米・英・露と和親条約を締結。このとき、オランダ商館長のドンケル・クルティウスが長崎奉行に対して「当面は科学的な基礎知識を養うことが先決。オランダから教師を招くか、日本人を留学生としてオランダに派遣するか、どちらか」と提言し、オランダ軍艦艦長・ファビウスも海軍設立の必要性を説きました

これらの提言を受け、近代工業化が進むヨーロッパの基礎知識を学ぶ画期的な学校「長崎海軍伝習所」が設置されました。軍隊の学校ではなく、海洋航海術の習得を基本として、あらゆる学問を勉強する学校です。

長崎海軍伝習所の開所!勝海舟も学んだ

安政2(1855)年10月、長崎海軍伝習所が開所。開所に際して、オランダはオランダ海軍のスンビン号(のちの観光丸)を提供しています。

オランダ海軍側の教師はスンビン号艦長のペルス・ライケン大尉を団長とする22人。幕府側は長崎在勤目付・永井尚志(なおのぶ)が伝習所総督となり、艦長要員とされた幕臣の永持享次郞(ながもちこうじろう)、矢田堀景蔵(やたぼりけいぞう)、勝麟太郎(かつりんたろう)(海舟)の3人をはじめとして、長崎の地役人から選抜された者も含め第1期(16か月間)の伝習生・聴講生は100人を超えました

長崎海軍伝習所の実践的な教育内容とは

長崎海軍伝習所では、蒸気機関、航海術や運用術、物理などの講義のほか、砲隊の訓練や近海回航など実践的な教育を展開。数学(洋算)とオランダ語の習得は伝習生がもっとも苦労した科目だったといわれています。

安政4(1857)年には、第1期の成績優秀者たちだけで江戸までの回航を実現しました。第2期の海軍伝習には、幕臣の榎本釜次郎(武揚(たけあき))や長崎代官・高木作右衛門をはじめ約100人が伝習生となりました。

オランダの教師団は、ヤーパン号(のちの咸臨丸)艦長・カッテンディーケ大尉を団長とする第2次教師団37人に交代。ペルス・ライケンとカッテンディーケ大尉は、のちにいずれもオランダ海軍大臣になっています。長崎海軍伝習所での操艦実習に使用された咸臨丸は、安政5(1858)年の春から夏にかけて4回の九州近海巡航を行い、万延元(1860)年には渡米しました。

長崎海軍伝習所で行われた医学伝習

長崎海軍伝習所は海軍以外の分野でも貢献しており、なかでも第2次教師団のひとり、ポンペによる医学伝習の功績は大きいものでした。ポンペは長崎海軍伝習所の廃止後も長崎にとどまり、文久元(1861)年に小島養生所(病院)と医学所を開いて松本良順、佐藤尚中(しょうちゅう)、長与専斎(せんさい)らの医学者を育てました。

長崎海軍伝習所で行われた医学伝習

医学伝習所は海軍伝習所の一環として始まります。のちに日本初の西洋式病院「小島養生所」が開院しました。

長崎海軍伝習所の閉鎖

ところが安政6(1859)年、長崎奉行所は突然長崎海軍伝習所の閉鎖を予告、同年4月に閉鎖されました。背景には、大老・井伊直弼による「安政の大獄」の嵐がありました。

長崎海軍伝習所は4年の短い期間ではありましたが、ヨーロッパの先進的な技術に触れた日本の若者に大きな影響を与え、幕末から明治にかけて活躍する多彩な人材を送り出しました

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・島の数971! 長崎は日本一の多島県
・火山活動が作ったダイナミックな地形! 島原半島ジオパークとは?
・長崎は江戸時代から埋立都市だった?
・「国境の島」対馬の特殊な生態系
・水中調査で解明! 横島沈没の謎
・国内初のティラノサウルス発掘! 長崎は白亜紀の化石の宝庫だった
・世界でも稀な西海市の七ツ釜鍾乳洞
・最先端をゆく五島の洋上風力発電

…など

Part.2 長崎に開かれた多彩な交通網

・初期の長崎本線は早岐経由だった
・新幹線開業に向け再開発中! 長崎駅の今昔
・新旧の車両が行き交う長崎電気軌道
・小島が国際空港に! 長崎空港は世界初の海上空港
・長崎が生んだ画期的な交通手段! 坂を上る日本初のエレベーターとは!?
・東洋一と称された西海橋の誕生
・進化を遂げた長崎街道の日見峠
・松浦鉄道には3つの日本一がある!?
・当時の面影が残る雲仙鉄道の廃線跡
・島原鉄道は奇跡のローカル線!?
・吉田初三郎が描いた 長崎の鳥瞰図

Part.3 長崎で動いた歴史の瞬間

・東アジアの一大交流拠点だった! 原の辻遺跡が語る古代の交易
・“神風”の謎が海底遺跡調査で判明!? 鷹島神崎遺跡から見る蒙古襲来
・ポルトガルが平戸で貿易を始めたワケ
・なぜ長崎は教会領になったのか
・町民が主役!? 特例だらけの貿易都市長崎の誕生
・ラクダを飼っていた!? オランダ人の出島生活の実態とは
・龍馬を襲った「いろは丸事件」の真実
・倒幕の裏には大村藩士の活躍があった
・人口約4000人の村が一変!? 寒村だった佐世保が大変貌したワケ

…など

Part.4 長崎で生まれた産業や文化

・印刷も写真も通信も長崎発祥!? 長崎は“日本初”を量産していた!
・世界遺産に登録された日本造船業の原点! 三菱長崎造船所のあゆみ
・細部まで技巧を凝らした圧巻の建築美! 数々の教会堂を手がけた鉄川与助とは
・テーマパークの枠に留まらない魅力に迫る! 進化するエコシティ ハウステンボス

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