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古代吉備国の繁栄を象徴する楯築遺跡

吉備の繁栄を象徴するのが、2世紀後半から3世紀前半(弥生時代後期)に築造された楯築遺跡(たてつきいせき)です。当時吉備を治めていた首長の墳丘墓(ふんきゅうぼ)で、この時代のものとしては日本最大級です。楯築遺跡の出土品として特徴的なのが、特殊器台(とくしゅきだい)です。足が大きく口の広い筒型の土器で、魔除けの意味を持つ赤で塗られています。弥生時代後期の吉備では、人が死ぬと身内は喪に服し、関係者は歌舞で死者の霊を弔います。特殊器台はこの儀式の際、器を乗せる台として使われていたのではないかと推察されています。

古代吉備国と畿内の結びつきを示す造山古墳

5世紀前半(古墳時代中期)には、造山古墳(つくりやまこふん)が築造されました。岡山県内では最大、全国では第4位の規模を誇る全長約350mの巨大な前方後円墳で、被葬者は吉備政権の大首長と推定。畿内(きない)では大王陵で用いられる「長持形石棺」が出土していることから、かなりの権力を有していたと考えられています。調査の結果、石棺に使用された石は阿蘇(あそ)の肥後(ひご)石と判明。5世紀前半の吉備国は、九州との交易ルートを持っていたのです。
大阪府藤井寺市(ふじいでらし)の誉田御廟山古墳(ごんだごびょうやまこふん)と、大阪府堺市の上石津ミサンザイ古墳(かみいしづミサンゲイこふん)は、造山古墳に似ています。当時の吉備国の畿内との結びつきを想像できます。

造山古墳周辺の古墳群

造山古墳

住所
岡山県岡山市北区新庄下
交通
JR吉備線吉備津駅からタクシーで10分
料金
情報なし

古代吉備国は最先端の技術を有し強大な勢力と化した

巨大古墳の築造には、測量や施工、膨大な量の鉄製農具や工具が必要です。これらの土木技術や製鉄技術には、渡来人が深く関わっていたと思われています。5世紀には多くの渡来人が、技術者集団として吉備国の古墳築造や製鉄に貢献。多くの人口と海上・河川交通に加え、最先端の技術を有する吉備国は、強大な勢力となっていきました。

古代吉備国は朝廷の直轄地に

吉備国を味方につけておきたい大和国は、555年に白猪屯倉(しらいのみやけ)・556年に児島屯倉(こじまのみやけ)を設置。朝廷の直轄地として、支配下に置きます。吉備国が大和国に服属したという見方もできますが、吉備国と大和国の間に目立った武力衝突は起こっていません。武力制圧によって支配されたというより、吉備政権の首長(地方豪族)が大和朝廷に加わったというニュアンスが近いようです。

古代吉備国と大和国の関係性が垣間見えるこうもり塚古墳

6世紀後半に築造された、こうもり塚古墳は吉備国の大首長の墓と考えられていますが、大和国(現在の奈良県明日香村)の石舞台古墳と同じ規模の巨大な横穴式石室に、石灰岩の一枚岩をくり抜いて造った「家形石棺」が安置されています。吉備国の首長は積極的に大和国に協力し、大和国も吉備国を認めていたのでしょう。

こうもり塚古墳

住所
岡山県総社市上林
交通
山陽自動車道倉敷ICから国道429号を総社方面へ車で6km
料金
情報なし

古代吉備国が有力な軍事拠点だったという証

飛鳥時代に入ってからも、吉備国と中央政権との協力関係は続きました。吉備国に古代山城が築かれたこと、外交と軍事の統括所である「吉備太宰(きびのおおみこもち)」が置かれていたことは、吉備国が有力な軍事拠点であったことの証といえるでしょう。679(天武天皇8)年には「吉備太宰・石川王が死去した」という知らせが届きますが、この石川王は吉備の総領だと考えられています。

古代吉備国は分割統治になり勢力が大きく後退

しかし689(持統天皇3)年に飛鳥浄原令(あすかきよみはらりょう)が発布されると、吉備国は備前国・備中国・備後国(びんごこく)に分割。播磨国から備後国まで一体運営していた状態から分割統治になることで、その勢力は大きく後退します。713(和銅6)年には備前国から美作国(みまさかこく)が分割され、今日まで旧国名として定着しています。

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Part.1 地図で読み解く岡山の大地

・瀬戸内海はどうやってできた?岡山県の成り立ち
・美作はなぜ西日本有数の温泉地なのか
・岡山県指定天然記念物井倉洞はどうやってできた?
・山から貝の化石がとれる不思議
・その大きさは世界2位! 児島湖はなぜ造られたのか?
・「晴れの国岡山」は「天文王国おかやま」だった!
・笠岡市がカブトガニ有数の生息地になった理由

…などなど岡山のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 岡山を走る充実の交通網

・瀬戸大橋が鉄道と併用できた理由
・西日本唯一の臨海鉄道線「水島臨海鉄道」の変遷を知る
・わずか16年で廃線になった、幻の三蟠鉄道
・津山扇形機関車庫から見る、岡山県の鉄道の歴史
・山陽新幹線は岡山発が多い?交通の要所・岡山駅のスゴさ
・日本で最も短い路面電車が地元で愛される理由

…などなど岡山ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 岡山で動いた歴史の瞬間

・伝説の城「鬼ノ城」は古代日本の防衛ラインだった
・巨大古墳群からひもとく吉備国と大和朝廷の関係
・戦国大名・宇喜多直家は、邑久郡の小領主だった
・難攻不落の備中高松城を、血を流さずに攻め落とせ!
・宇喜多秀家が基礎を築き池田家が整備した城下町
・岡山藩藩主の憩いの場として築かれた大庭園・後楽園

…などなど、激動の岡山の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 岡山で生まれた産業や文化

・古墳時代から受け継がれる備前焼
・岡山県の名産品・白桃は、なぜこんなにおいしいのか?
・蒜山原野の開拓とジャージー牛導入の歴史
・養蚕・イグサ・綿・デニム…。岡山が誇る繊維業
・瀬戸内工業地域・水島コンビナートの誕生秘話
・倉敷市が一大観光地に成長した理由
・刀工集団・長船派は、どのようにして生まれたのか

…などなど岡山の発展の歩みをたどる。

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