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足利義材は明応の政変により越中へ亡命

父である足利義視(よしみ)の後見を受けていましたが、足利義視が死去すると、擁立に関わった幕府の実力者・日野富子(ひのとみこ)や管領(かんれい)・細川政元(ほそかわまさもと)とは対立関係となってしまいます。求心力を高めようとした足利義材は、足利義尚が成し遂げられなかった近江の六角氏征伐を果たし、前管領の畠山政長(はたけやままさなが)を率いて、畠山政長と対立していた畠山義就(はたけやまよしひろ)を追放するために河内へ向かいますが、いずれも細川政元の反対を押し切って実行されたものでした。

足利義材は亡命先の放生津で政権を樹立

そういったことが引鉄となり、足利義材が京都を留守にしている間、日野富子や細川政元らによって、足利義材の従兄弟・足利義澄(よしずみ)が擁立されてしまいます。これが明応の政変といわれる出来事です。足利義材は京都に連れ戻されて幽閉されていましたが、京都を脱出し、越中の放生津へ向かいます。越中は畠山政長の領国だったため、畠山政長の家臣・神保長誠(じんぼながのぶ)の支援を受けることができたからです。足利義材は孤独に亡命したわけではなく、奉行人や奉公衆(将軍の警備隊)、北陸の大名らが足利義材に同行したため、放生津ではそれなりに布陣の整った政権を樹立し、小さな幕府と言っても差しつかえない体制だったようです。足利義材はここで側近らや現地の勢力に支えられて、再上洛の機会をうかがうこととなりました。ちなみに、この亡命時代は義尹(よしただ)と名乗っています。

足利義材は再度上洛し将軍に返り咲く

永正4(1507)年、足利義材を廃した首謀者である細川政元が暗殺され、細川政元の養子である細川澄元(すみもと)と細川高国(たかくに)が当主の座を巡って争う混乱にまで発展します。この状況を好機ととらえた足利義材は翌年に再度上洛。細川高国に迎えられ、京都から足利義澄を追放し、将軍に復帰。この2度目の将軍時代には再度改名し、足利義稙(よしたね)と名乗りました。

足利義材は安定感に欠ける「流れ公方」

越中、越前、周防と諸国を渡り歩いた経歴から、足利義材は「流れ公方」とも称されました。流れ流れていた彼の勢力は安定感に欠けており、将軍に復帰した後も細川高国や周防の大内氏ありきの立場となっていましたが、やがてその細川高国や大内氏との関係も悪化し、淡路、阿波と再び流れた末に死没しました。

足利義材の幕府成立によって賑わった放生津

これだけ各地を転々としていながら、幕府が成立したのは越中のみ。この期間、足利義材のもとには連歌師(れんがし)の宗祇(そうぎ)や、飛鳥井雅康(あすかいまさやす)など、当時の京文化を代表する文化人たちや武将、僧侶らが足しげく往来しました。放生津の幕府は6年間のみという短いものだったかもしれませんが、政治や文化の中心地として越中が華やかに賑わったことはまぎれもない事実です。

放生津城は跡越中の守護所として建てられた

放生津城が建てられたのは、現在放生津小学校がある場所。グラウンドの北側に放生津城跡の石碑が設置されています。放生津城は、越中の守護所として建てられた館で、守護の名越時有(なごえときあり)という人物が築いたといわれています。室町時代には、畠山氏直属の官吏・神保氏が守護代として入城しており、足利義材を支援した長誠は神保氏の2代目にあたります。

城があった場所は現在小学校が建っており、城の遺構は地下に埋もれています。測量家・石黒信由が作成した「放生津古城跡御蔵屋敷絵図」を見ると、絵図の古城跡と放生津川が、現在の小学校と放生津川の位置関係とほぼ一致していることが分かります。

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・立山の観光ルートは1つじゃない? 一般開放が待ち遠しい黒部ルート
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・放生津に存在した亡命政権
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・越中の黄金郷 加賀藩極秘の「越中の七かね山」
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Part.4 富山で育まれた文化や産業

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・財政難を立て直した富山の売薬
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・秀吉も称えた伝説の刀工・郷義弘
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・ジャポニズムの立役者・林忠正
・アニメの聖地が多い富山県
・瑞泉寺再建から始まった井波彫刻

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