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富山藩内で銅山は飛び地として加賀藩が管理

加賀藩から富山藩が分藩される際も、加賀藩はこの鉱山を含む一帯を手放さなかったため、富山藩領地内に加賀藩の飛び地のような形で残ることになりました。加賀藩はこれらの鉱山を「加袮山(かねやま)」として特例的な行政区域に指定しました。鉱山からの金銀などの産出量は、当時加賀藩の極秘事項だったのです。加賀藩が直接統治しており、鉱山への出入り口には番所などを設けて厳重に出入りを管理したため、詳細な情報はあまり知られることはありませんでした。

富山の鉱山最盛期は集落も形成

七かね山の最盛期は慶長年間(1596~1615年)の頃。それぞれに大規模な鉱山集落を形成し、松倉、亀谷、吉野では最大1000軒以上、長棟で最大1100軒以上の家が存在していました。坑道の入り口ごとに、担当の山師(山を歩いて鉱脈を見つける職業)や大工らが2000人ほど作業にあたったとされます。

富山の鉱山のなかでも鉱脈豊かだった松倉金山

最も古くに発見されたといわれるのが松倉金山。最盛期の産出量は15万石に相当し、1カ月で2000両以上産出する坑道もありました。豊かな鉱脈はかつての支配者たちにとって魅力的だったため、加賀藩領となる以前もこの金山をめぐって争いが繰り広げられてきました。近くには松倉城があり、平野を一望できる立地条件もよかったため、ここを中心に要塞が築かれたともいわれていますが、戦国時代の史料はほとんど残っていません。

鉱山のうちの金山は鉱脈型の鉱床

松倉を含む4つの金山はいずれも鉱脈型の鉱床。上部には金と銀、下部には銅が多く含まれていました。どれも最初は金山として栄えますが、次第に銀が主になり、次は銅というように衰退の経緯を辿っています。

富山の鉱山のなかでも最大の鉱床だった亀谷銀山

亀谷銀山では、2010年の調査によって坑道の入り口が14カ所見つかりました。最盛期は、加賀藩主・前田利長(としなが)がここから産出した銀を花降銀(はなふりぎん)に鋳造して、徳川家康・秀忠に献上。花降銀とは、精製度の高い銀のことで、熱を奪われる瞬間に表面が盛り上がり、花が開いたような形になることからそう呼ばれました。亀谷銀山は富山県下では最大の鉱床といわれますが、寛永年間(1624~1644年)以降は徐々に衰退し、山師や鉱夫も離れていったといいます。明治・大正期になっても民間会社が経営をおこなってはいたものの、この頃には鉛が主となっており、採掘量は少なく、大正15(1926)年に休山となりました。

富山の鉱山で採掘された鉛が石見銀山を支えていた?!

ちなみに、この亀谷銀山と長棟鉛山から産出された鉛が石見銀山(いわみぎんざん)を支えていた可能性があります。当時は銀の製錬に鉛を使う手法が用いられており、石見銀山での製錬ではこれらの鉱山から出た鉛が使われていたというものです。わざわざ遠くの島根まで運ぶのは大変な作業ですが、佐渡の金銀山でも越中の鉛が使われていたことを考えれば、可能性はゼロではないでしょう。

富山は恐竜王国だった?

亀谷銀山などがあった大山(おおやま)地域は、手取(てとり)層群という1億年以上前の地層が分布しています。同じ地層が福井県、石川県、岐阜県にも分布しており、これまでに多くの恐竜の化石が見つかってきました。特に恐竜の化石が発掘されることで有名なのは福井県の勝山市ですが、大山も恐竜王国であった証拠があります。

勝山では恐竜の歯や骨の化石が多く出るのに対し、大山は国内最大の足跡化石発掘地。これまでに500個を超える恐竜の足跡化石が発見されています。大山で初めて恐竜の足跡化石が見つかったのは1990年。その5年後には、林道沿いの崖で日本最大の恐竜足跡化石群が発見され、ここからは肉食恐竜歯化石が2点、草食恐竜歯化石が1点、さらに日本で初めてのアンキロサウルス類の足跡化石、翼竜の足跡化石が発見されました。これにより、大山は日本一の恐竜足跡化石産地に。ほかの地域でも見つかっているとはいえ、これほど多彩な足跡化石は大山以外では見ることができません。富山市科学博物館では、大山で見つかった化石が展示されています。

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Part.1 地図で読み解く富山の大地

・立山連峰との高低差4000m!「きときと」ぞろいの富山湾
・黒部ダムが大電源を生み出すまで
・崩壊を続ける立山カルデラ
・極東の氷河の南限は立山! 国内初の氷河認定とライチョウ
・神秘の光景! 魚津の蜃気楼と雨晴海岸の気嵐
・2000年前に形成された魚津埋没林
・富山の水がおいしいヒミツ
・立山の地下には「何か」がある! 活断層はあるのに地震が少ない理由
・富山湾のホタルイカはなぜ有名?

…など

Part.2 富山を駆ける充実の交通網

・北陸新幹線開業による光と影
・河川敷にある富山きときと空港
・SDGs未来都市に選定 ライトレールが象徴するまちづくり
・伏木港は神戸港に憧れた男の夢
・立山の観光ルートは1つじゃない? 一般開放が待ち遠しい黒部ルート
・マッターホルンの麓町から着想 低速電気バスEMUと宇奈月温泉
・鉄オタ集結地! 富山県は公共交通の宝庫
・V字峡谷を走るトロッコ電車

…など

Part.3 富山の歴史を深読み!

・江戸時代は鮎だった! 駅販売で広がったます寿し
・富山県成立までの複雑な歴史/越中の英雄・佐々成政の人物像
・焼け野原と化した富山大空襲/富山の遺跡&古墳は個性派ぞろい
・放生津に存在した亡命政権
・越中の伊能忠敬 射水出身の測量家・石黒信由
・越中の黄金郷 加賀藩極秘の「越中の七かね山」
・北陸近代医療の父・黒川良安
・世界遺産は加賀藩の軍事工場 五箇山でおこなわれた塩硝づくり

…など

Part.4 富山で育まれた文化や産業

・「越中おわら節」はなぜ有名?
・財政難を立て直した富山の売薬
・布教のためのテキストだった 曼荼羅から読み解く立山信仰
・秀吉も称えた伝説の刀工・郷義弘
・売薬商人は危ない橋を渡っていた? 薬の密貿易が生んだ昆布文化
・有名な創業者も多く輩出 富山県民は倹約家で働き者
・ジャポニズムの立役者・林忠正
・アニメの聖地が多い富山県
・瑞泉寺再建から始まった井波彫刻

…など

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