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「銀の道」は銀の産出増に伴い続々と整備される

鞆ヶ浦への運送路「鞆ヶ浦道(国史跡)」の途中には、荷役の牛馬を入れ替えた「駒場」や、銀鉱石を盗んだ者が首をはねられた場所に建てられたという「胴地蔵」などが残ります。

寿禎は朝鮮半島経由で伝わった当時最先端の精錬技術「灰吹法(はいふきほう)」を導入し、1533年に銀山内で銀の精錬を始めます。生産効率の向上で産出量が飛躍的に増え、導入から6年で大内氏への運上銀は100枚から500枚に激増しました。

①銀鉱石を鉛と一緒に焼窯に入れて加熱し、銀と鉛の合金を作ります。

②動物の骨を燃やして作った灰を鉄鍋に敷いて、合金を乗せ、炭で加熱しながらふいごで風を送ります(後期には地面に穴を掘って松葉の灰を敷いた。出雲の海岸から集めた松葉が上質とされた)。

③融点が低く酸化しやすい鉛だけが表面張力の低い酸化鉛となり、不純物と共に灰に染み込みます。

④純度の高くなった銀だけが灰の上に玉状になって残ります。
灰吹法による作業を行なう鉱夫は、深刻な鉛中毒や水銀中毒によって亡くなることが多かったため、30歳まで生きられた鉱夫は、尾頭付きの鯛と赤飯で「長寿」を祝われたとされます。

「銀の道」は銀の世界的需要高に伴い「温泉津沖泊道」が整備される

大内氏の日明貿易により石見銀は中国大陸へと怒涛のごとく流入し、東西アジアからヨーロッパまでが日本の銀を求めるなか、当時の世界経済に大きな影響を与えました。1562年に石見を平定した毛利氏は、温泉津の沖泊(おきどまり)を銀や物資の搬出入の拠点港とし、銀山からの運搬路「温泉津沖泊道(国史跡)」を整備しました。

「銀の道」は日本海ルートから瀬戸内ルートへ

「鞆ヶ浦道」も「温泉津沖泊道」も日本海へのルートですが、江戸時代になると瀬戸内海へのルートに改められます。1600年、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は直ちに石見銀山を幕府領としました。初代銀山奉行・大久保長安(ちょうあん)のもと積極的に鉱山開発が行なわれ、産銀高はピークに達します。幕府は銀山で生産する灰吹銀を1年分まとめて旧暦十月下旬ごろに温泉津から大坂まで航送していました。旧暦十月は現在の11月ごろで、冬の日本海は時化ることが多く危険なため、波の静かな瀬戸内海を経由するべく、中国山地を越えて山陽側の尾道港まで陸路で運搬する街道が整備された。「銀山街道」あるいは「尾道道」とも呼ばれる道です。

銀山街道に残る立ち寄り処跡地

銀山街道の途中には、毛利軍と尼子軍の激戦地にあった「降路坂の茶店跡」や、泉の水のおいしさに感動した銀山の代官が高価な金属製の柄杓を奉納したという「金柄杓(かなびしゃく)の井戸」などがあります。沖泊には岩場に穴を開けて船を係留した「鼻ぐり岩」が今も残ります。温泉津には約1300年前の開湯と伝わる温泉津温泉があり、当時も役務を終えた人足が疲れを癒やしたといわれています。

「銀の道」沿いに整備された宿駅

石見銀山の大森を起点に、本陣のある宿駅がいくつか置かれました。運搬には「助郷(すけごう)」といって、宿駅近在の農民や牛馬が徴用され、次の宿まで順送りに務めを果たしました。

馬300頭と400人の大編隊が大森を出発します。最初の難所が「やなしお道(島根県美郷町小松地〜湯抱(ゆがかい))(国史跡)」というつづら折りの坂です。版築(はんちく)工法による竹林の道や一里塚跡などが残り、現在はウォーキングコースにもなっています。

「銀の道」として禁止された舟運

やなしお道をすぎて小原宿(おばらじゅく)(島根県美郷町粕渕)に入ると昼食をとり牛馬を付け替えました。小原宿のある粕渕は江の川の舟運の要衝地で、1819年に運上銀を粕渕から三次(みよし)まで江の川経由で舟で運びたいと銀山から申し入れをしますが、幕府に却下されたという記録があります。重量物を長距離運搬する場合、陸路よりも川舟の方が楽で速いですが、舟は事故の確率が高いのです。途中、布野宿(ふのじゅく)(広島県三次市布野町)などは運賃収入が入らなくなるため川舟による抜け荷(違法運送)を禁止してほしいと再三訴えました。銀の抜け荷を防ぐため、江の川沿いには川番所という監視所が設けられました

小原宿で幕末に本陣を務めた林家の建物は粕渕に残っており、現在は「亀遊亭(きゆうてい)」という旅館になっています。

「銀の道」最大の難所「赤名峠」

小原宿を出た輸送隊は九日市宿(ここのかいちじゅく)(島根県美郷町九日市)で一泊し、次の宿泊地・三次宿(広島県三次市)へ向かいます。途中、広島県との県境にある赤名峠(あかなとうげ)は「上り下り九十九(つづら)曲がり」といわれた、銀山街道最大の難所です。中国山地でも有数の豪雪地帯で、冬季に雪の峠越えをする赤名宿(島根県飯南町赤名)の人々は大変苦労しました。

その上ひとつ先の布野宿が火災にあって以降、三次まで七里の道をすべて赤名宿の人たちが運ぶことになっており、三次宿への到着は夜八ツ時(午前2時)ごろになる過酷な輸送を強いられました。

「銀の道」は笠岡道に分岐

三次宿を出て吉舎宿(きさじゅく)(広島県三次市吉舎町)の先、宇賀(三次市甲奴町)で街道は「笠岡道」と分岐します。笠岡道は、貨幣に使われる灰吹銀ではなく年貢として納める銀が運ばれた道で、宇賀から上下(じょうげ)・府中・神辺(かんなべ)を経て笠岡に向かいます。灰吹銀の方は甲山宿(こうざんじゅく)(広島県世羅町)へ向かい、一泊して尾道へ到着します。三泊四日、130kmの道のりでした。

出雲街道をとおる「うなぎ街道」

島根には他にもさまざまな街道がありました。出雲地域と山陽道を結ぶ「出雲街道」は参勤交代の道ですが、その一部である「法勝寺往還」は、正式な出雲街道より2里弱も短く、川を渡らなくて済むので庶民が利用しました。

1756年ころ、中海南岸の安来(島根県安来市)でうなぎが豊漁となり、地元の魚問屋・松江屋佐右衛門が、高値で取引される大坂で売り出そうと考えました。うなぎを生きたままかごに入れて人足に担がせ、道中あちこちのうなぎ池に入れるなどして休ませながら、出雲街道・法勝寺往還を歩いて伯耆へ、ついで美作に入りました。勝山(岡山県真庭市勝山)から旭川を舟で下り、岡山から瀬戸内海を通って大坂へ到着。安来を出てから9~10日の行程です。この道筋は「うなぎ街道」と呼ばれました。出雲の汽水湖・中海で獲れたうなぎは美味だと大坂で大評判になりました。今でも大阪や京都、東京のうなぎ専門店に「いづもや」という屋号が多いのはその名残でしょう。

島根の「鯖街道」

島根にも「鯖街道」があります。鯖街道といえば若狭湾の小浜から京都への道が最も有名です。島根の鯖街道とは、出雲地方と山陽方面を結ぶ備後街道のうち島根側の「大原街道」のことです。宍道から加茂(かも)(島根県雲南市加茂町)、木次(きすき)(雲南市木次町)を通り、三刀屋(みとや)(雲南市三刀屋町)、掛合(かけや)(雲南市掛合町)へ向かいます。この道は日本海で獲れた鯖を奥出雲(島根県奥出雲町)へ運ぶ輸送路でした。木次の町に着くのは昼ごろで、無塩の生魚で運ぶのはこの辺りで限界です。鯖はここで一匹まるごと竹串にさして焼き鯖にされ運ばれました。奥出雲方面への玄関口、山あいの町・木次で今も名物・焼き鯖が食べられるのは、かつての「鯖街道」が通っていた名残です。

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Part.1 地図で読み解く島根の大地

・「弁当忘れても傘忘れるな」な島根の天気
・山陰地方と呼ばれるのは島根県と鳥取だけ?
・水質の良い一級河川「高津川」と大井谷の棚田
・隠岐諸島の「レッドクリフ」をはじめとする島々
・三県境と全国5番目に広い湖「中海」と7番目の「宍道湖」
・全盛期は東アジア最大、世界で2位の産銀量「石見銀山」は港まで続いていた?
・東京ドームほどの海浜公園「石見畳ヶ浦」

ほか

Part.2 島根を駆ける充実の交通網

・「銀の道」さらに「うなぎ街道」「鯖街道」とは?
・朝廷への情報伝達に使われた「官道」とは?
・土木学会が指定した土木遺産「福浦トンネル」
・一畑電鉄と一畑駅、大社線と大社駅
・Mランドドライビングスクールとは?
・JR木次線の「三段式スイッチバック」とは?
・島根の旧三江線トロッコ、初めて県境越え広島へ
・奥出雲おろちループ
・古代山陰道
・「ベタ踏み坂」江島大橋
・未成線広浜鉄道
・神にまつわる名前のついた10の駅
・最後の寝台列車サンライズ出雲

ほか

Part.3 島根の歴史を深読み!

・『日本書紀』『古事記』から神々を知ろう
・古墳も多い島根県
・『出雲国風土記』の世界「黄泉の穴」
・出雲大社を筆頭とする様々な「神社」
・「出雲」「石見」「隠岐」から「島根に」
・山陰のモンサンミッシェル?こと宮ケ島 衣毘須神社
・出雲の方言 東北の訛りとの共通点
・なぜ津和野町に「森鴎外記念館」が?「小京都」と呼ばれるわけ
・歴史的大打撃「廃仏毀釈」で失われたモノ
・島流しといえば「隠岐」?
・江戸時代の島根県、松江藩による出雲平野の開拓

ほか

Part.4 島根で育まれた産業や文化

・「相撲」発祥の地と言われる出雲
・名湯の多い島根県
・継承される多くの神楽と安来節
・歌舞伎の原型になったとされる「阿国歌舞伎」
・「玉鋼」と「たたら製鉄」と黒曜石
・日本で唯一「黄長石霞石玄武岩」を産出
・小泉八雲の作品と小泉邸

ほか

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