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隠岐騒動勃発までの流れ

幕末、近海に異国船が姿を見せはじめます。1863年、危機感を持った松江藩は農兵隊を隠岐に組織し、1866年には鉄砲の訓練も受けさせます。しかし、同年と翌年に米価が高騰したため、松江藩は住民の暴動を恐れ武器の携帯を禁止しました。

このころ、京都で学び塾を開いていた隠岐出身の中沼了三(なかぬまりょうぞう)の影響を受け、隠岐でも尊皇攘夷思想(天皇を尊んで国外勢力を排除する考え方)が広まっていきます。そこで神官や庄屋(代官の命令をうけて年貢の取立てや用水・農業技術の指導にあたった地域の有力者)を中心に文武を学ぶ文武館の設置を松江藩に嘆願しますが、郡代は不穏な動きだとして却下しました。

隠岐騒動のきっかけは山陰道鎮撫使からの文書

1868年、新政府軍は幕府軍を鳥羽・伏見の戦いで破ると、出雲や石見など山陰道にある諸国の佐幕(さばく)の大名や諸士を討ち、旧幕府領地の者を調べ、住民をなだめるために山陰道鎮撫使(ちんぶし)を派遣します。
山陰道鎮撫使は、隠岐の村役人宛に「隠岐は松江藩の領地から朝廷の領地になった」という旨の文書を出します。しかし、村役人の手に渡る前にこれを松江藩が開封し、中身を確認しました。

この行動に島民の不満は頂点に達し、3000人以上が集まって郡代の陣屋に押しかけ「隠岐が朝廷の領地となったからには松江藩の支配は受けないので帰国するように」と要求し、郡代を松江に帰国させます。

隠岐騒動は80日間で崩壊した隠岐の自治政府立ち上げ

島民は陣屋で自治政府を立ち上げますが、松江藩の運動が功を奏し、新政府から隠岐の鎮圧を認められ、隠岐に上陸し陣屋を奪い返します。自治政府はわずか80日間で崩壊しました。これがいわゆる隠岐騒動です。ですが、長州・薩摩・鳥取藩の圧力で松江藩は撤退し鳥取藩の預かりとなり、1869年には隠岐県となります。そのあと、紆余曲折があり結局は島根県の一部となったでした。

隠岐騒動に深く関係?徹底して行われた廃仏毀釈運動

明治時代の初め、新政府が神道を中心とする国家造りを進めたことから、全国で仏教の抑圧・排斥の動きが高まり、いわゆる廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が起きます。隠岐では1869年から徹底して行なわれ全国的にも激しいものとなりますが、これには隠岐騒動が深く関係しています。

騒動の指導者に神官が多かったこと、騒動の際に仲裁を買って出た僧侶7人が郡代側寄りだったことなどが理由です。しかも隠岐県に派遣された県知事が久留米水天宮(くるめすいてんぐう)の神主・真木和泉(まきいずみ)の弟である真木直人(なおと)だったため、廃仏を奨励したことが運動に拍車をかけたのでした。

廃仏毀釈運動の結果寺がなく僧侶もいない地域

隠岐にあった99の寺がすべて壊され、神社や民家にあった仏像や仏具は海に投棄(とうき)されるなどしました。このため僧侶全員が還俗(僧籍(そうせき)にはいった者が、俗人に戻ること)か隠岐から脱出したため、隠岐は寺がなく僧侶もいない地域となりますが、1871年ころから浄土宗などの仏教再興運動が始まり、1879年ころから寺が徐々に復興され始めました。

隠岐騒動に関する史跡

隠岐の島町には隠岐騒動に関する史跡が残っています。隠岐騒動が起きた隠岐の島町西町八尾にあった松江藩陣屋跡には、隠岐騒動勃発地の石碑が建っています。隠岐の島町運動公園の近くには、隠岐騒動で命を落とした隠岐の住民を祀る報国記念碑があります。隠岐の島町下西の玉若酢命神社の宮司・億岐(おき)家は隠岐騒動の中心人物のひとりだったため松江藩に襲われました。億岐家の住宅にはその時の刀傷や銃弾の跡が残っています。

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Part.1 地図で読み解く島根の大地

・「弁当忘れても傘忘れるな」な島根の天気
・山陰地方と呼ばれるのは島根県と鳥取だけ?
・水質の良い一級河川「高津川」と大井谷の棚田
・隠岐諸島の「レッドクリフ」をはじめとする島々
・三県境と全国5番目に広い湖「中海」と7番目の「宍道湖」
・全盛期は東アジア最大、世界で2位の産銀量「石見銀山」は港まで続いていた?
・東京ドームほどの海浜公園「石見畳ヶ浦」

ほか

Part.2 島根を駆ける充実の交通網

・「銀の道」さらに「うなぎ街道」「鯖街道」とは?
・朝廷への情報伝達に使われた「官道」とは?
・土木学会が指定した土木遺産「福浦トンネル」
・一畑電鉄と一畑駅、大社線と大社駅
・Mランドドライビングスクールとは?
・JR木次線の「三段式スイッチバック」とは?
・島根の旧三江線トロッコ、初めて県境越え広島へ
・奥出雲おろちループ
・古代山陰道
・「ベタ踏み坂」江島大橋
・未成線広浜鉄道
・神にまつわる名前のついた10の駅
・最後の寝台列車サンライズ出雲

ほか

Part.3 島根の歴史を深読み!

・『日本書紀』『古事記』から神々を知ろう
・古墳も多い島根県
・『出雲国風土記』の世界「黄泉の穴」
・出雲大社を筆頭とする様々な「神社」
・「出雲」「石見」「隠岐」から「島根に」
・山陰のモンサンミッシェル?こと宮ケ島 衣毘須神社
・出雲の方言 東北の訛りとの共通点
・なぜ津和野町に「森鴎外記念館」が?「小京都」と呼ばれるわけ
・歴史的大打撃「廃仏毀釈」で失われたモノ
・島流しといえば「隠岐」?
・江戸時代の島根県、松江藩による出雲平野の開拓

ほか

Part.4 島根で育まれた産業や文化

・「相撲」発祥の地と言われる出雲
・名湯の多い島根県
・継承される多くの神楽と安来節
・歌舞伎の原型になったとされる「阿国歌舞伎」
・「玉鋼」と「たたら製鉄」と黒曜石
・日本で唯一「黄長石霞石玄武岩」を産出
・小泉八雲の作品と小泉邸

ほか

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