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津軽鉄道の歴史

津軽鉄道の歴史は大正期にさかのぼります。五能線の川部〜五所川原間は私鉄の陸奥鉄道により開業しますが、のちの1927(昭和2)年6月に国有化されました。その際に株主が得た金額は出資金の約2倍もの額で、思わぬ金を手に入れた株主らは五所川原〜中里間を結ぶ鉄道の建設に投資しました。すでに1922(大正11)年公布の改正鉄道敷設法別表では、「青森より三厩、小泊を経て五所川原に至る鉄道」が予定線にも挙げられており、敷設の機運も高まっていました。

こうして1928(昭和3)年2月に津軽鉄道が発足し、1930(昭和5)年7月に五所川原(現・津軽五所川原)〜金木(かなぎ)間が開業。同年11月までに津軽中里駅まで全通しました。津軽鉄道も陸奥鉄道同様に国に買収してもらい、株主らは巨額の富を得ようと考えていたようですが目論みは外れました。

津軽鉄道は経営難からストーブ列車を観光の目玉に!

沿線人口は当初から少なく、大きな産業もないこともあり苦しい経営が続きました。戦後は、蒸気機関車を廃止しディーゼル化を早期に行うなど近代化が図られました。モータリゼーションの進展には比較的影響を受けなかったものの、乗客は減少していくばかりでした。そこで考えられたのが、すでに運転していたストーブ列車を観光の目玉にすることでした。

かつて、客車の暖房には蒸気機関車から供給される蒸気が使用されていました。ディーゼル機関車や電気機関車も、旅客用機関車は暖房のための蒸気発生装置を搭載していました(電気暖房も存在)。ところが、津軽鉄道の機関車は貨物用で蒸気発生装置がなく、牽引される客車の暖房に石炭炊きのダルマストーブが用いられました。車内の座席8人分を外してダルマストーブが置かれ、屋根には煙突も装備。石炭がくべられると燃焼され、凍てつく冬でも車内はポカポカと大変暖かいのです。ダルマストーブの客車は全国で見られましたが、イベント列車を除けば現在では津軽鉄道だけです。

津軽鉄道の観光列車は様々でファンがあとを絶たない

ちなみに、今は保留車として車庫で休む旧・西武鉄道の電車を改造したナハフ1200形客車は、ウェバスト式(三国式温気暖房)という軽油を燃料にした石油ファンヒーターのような暖房装置を用いています。この暖房を搭載した客車や気動車も全国で見られましたが、車籍があり現存するのはこれも津軽鉄道だけで、大変に貴重な存在です。

そんな津軽鉄道のストーブ列車は、観光客から注目を集め、すっかり青森の冬の風物詩として定着しました。ほかにも夏に「風鈴列車」、秋には「鈴虫列車」を走らせ、観光用の女性アテンダントが乗務する列車もあり好評です。青森県の最高峰、岩木山がそびえる津軽平野を列車が走る姿は美しく、途中の芦野(あしの)公園駅で遅い春に咲く桜も見事で、訪れる観光客やファンがあとを絶ちません。

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Part.1 地図で読み解く青森の大地

・津軽・下北半島が陸奥湾を抱き 県央を貫く奥羽山脈が地形を二分
・火山がもたらした絶景や石灰岩 下北半島に刻まれた列島誕生史
・二重カルデラの十和田湖が生んだ奥入瀬渓流の渓谷美
・津軽富士と称される美しい岩木山は荒々しい火山地形を残す活火山
・古いカルデラの上に形成された八甲田山は火山地形の宝庫!
・東に段丘・西に砂丘・南に扇状地 岩木川がつくった津軽平野
・かつて潟湖だった小川原湖と広大な上北平野ができるまで
・地すべりでブナの原生林が誕生 太古の森が残る白神山地の成り立ち

・・・など

Part.2 青森を駆け抜ける鉄道網

・日本鉄道の駅として明治期に開業 北への玄関となった栄光の青森駅
・E5系・H5系「はやぶさ」が走り延伸を続ける東北・北海道新幹線
・車内で津軽三味線の生演奏!?「リゾートしらかみ」がゆく五能線
・函館への海底トンネルを掘削!?大湊線・大畑線・大間線の大計画
・日本初のステンレス車も活躍する東北最大の私鉄 弘南鉄道がすごい
・黄金の東北本線は新幹線で激変 新時代を走り出した青い森鉄道
・冬は石炭炊きのストーブ列車!ローカル私鉄・津軽鉄道の魅力
・レトロなレールバスがみちのくの原風景を走った幻の南部縦貫鉄道

・・・など

Part.3 青森で動いた歴史の瞬間

・マンモスを追ってきた人類が定着 中央に属さない独自の文化が発展
・豊かな自然のもとで生まれ1万年にわたり続いた縄文文化
・稲作を基盤とする弥生文化と北海道で発達した擦文文化が交錯
・和人の律令国家に取り込まれず蝦夷の地として交易で発展する
・奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ武士たちの激しい抗争の時代へ
・十三湊を制して栄えた安東氏と室町期に台頭した南部氏の争い
・北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた津軽氏とは?
・藩境争いに暗殺未遂、戊辰戦争…度重なる津軽と南部の紛争
・戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立し近代化していく
・港町から県都となった青森では町人中心の町づくりが進んでいく

・・・など

Part.4 青森で育まれた産業や文化

・霊媒師イタコが霊場・恐山の象徴的存在となった理由
・諸大名が財を投じて求めた南部駒 青森県の馬産の歴史は古代から!?
・築100年のダムが現役!耐久性の高い青森ヒバ
・岩木山麓の原野を切り拓いて旧藩士たちが始めたリンゴ栽培
・大間のマグロに陸奥湾のホタテ! 青森県で水産物が豊かな理由とは?
・船上に車両を載せて海を渡る! 青森〜函館をつないだ青函連絡船
・セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌した八戸
・米軍・自衛隊・民間が利用する三沢飛行場は旧海軍航空基地だった

・・・など

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