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阿蘇氏は阿蘇神社の大宮司から武士団の棟梁へ

速瓶玉命は初代阿蘇国造となり、子孫は代々阿蘇神社の大宮司を世襲。平安中期には領主的な存在として阿蘇一帯を支配するようになります。796(延暦15)年以降、しばしば朝廷に阿蘇火山の活動を報告し、そのたびに阿蘇氏の権威は高まっていったといいます。
そして12世紀後半までには、甲佐神社(こうさじんじゃ)、健軍神社(けんぐんじんじゃ)、郡浦神社(こうのうらじんじゃ)などを末社に組み込み、その勢力は肥後平野にまでおよび、小国、矢部を加えて、武士団の棟梁として成長していきました。

阿蘇氏は鎌倉幕府執権と深い関係に

鎌倉幕府が成立すると、阿蘇社領は北条時政の預所となりました。そのため、阿蘇氏は鎌倉幕府の北条氏と深い関係を築いていったのです。
その阿蘇氏の栄華を示すのが上益城郡山都町の「浜の館遺跡」(現在の熊本県立矢部高等学校敷地)です。これは1207(承元元)年頃、阿蘇惟次(これつぐ)の代に阿蘇大宮司の本拠地としてつくられた館であり、1974(昭和49)年に熊本県の文化課により行われた発掘調査で、青磁器、天目茶碗、水甕などの陶磁器類など、21点に上る宝物類も発見されています。

阿蘇氏の元弘の乱の動向

1331(元徳3)年に「元弘の乱」が起きると、大宮司だった阿蘇惟時(これとき)は護良(もりよし)親王(後醍醐天皇の第三皇子)の令旨をうけて、六波羅探題攻略の戦いに参戦、鎌倉幕府滅亡後には後醍醐天皇による「建武(けんむ)の新政」で、国上使となりました。しかし、建武の新政は失敗に終わります。足利尊氏は後醍醐天皇から離反し、都から追放されると、肥前国守護の少弐頼尚(しょうによりひさ)らを頼ります。

阿蘇氏は天皇側につくも当主が戦死

これに対し、肥後国の阿蘇惟直(これなお)(惟時の子)、菊池武敏(たけとし)などをはじめとする九州の諸豪族の大半は当初、後醍醐天皇側につき、少弐氏の本拠地・太宰府を襲撃して陥落させました。ですが、1336(建武3)年の「多々良浜の戦い」では多数の寝返りが出て敗北、阿蘇惟直・惟成(これしげ)兄弟が戦死して、阿蘇惟時が再び当主に復帰しました。

阿蘇氏は内紛のすえ衰退し武家大宮司は滅びる

1337(延元元年/建武3)年には、足利尊氏が京都で光明天皇(北朝・持明院統)を擁立、後醍醐天皇(南朝・大覚寺統)が吉野行宮に遷って南北朝時代に突入、その頃から阿蘇氏の内紛が続くこととなりました。
阿蘇惟澄(これずみ)や息子の阿蘇惟武(これたけ)らの南朝方と、阿蘇惟村(これむら)(のちの室町幕府肥後国守護)らの北朝方に分裂し、室町時代まで対立が続きました。

阿蘇氏は武家としての最期を迎えるも祭祀家として存続

その分裂は、1451(宝徳3)年に阿蘇惟忠(これただ)によって統一されるまで続き、戦国時代に入ると、武士団としての阿蘇氏の勢力は大友氏に圧倒されて次第に衰退し、1585(天正13)年には島津氏に敗れ、さらに、1593(文禄元)年に12歳だった阿蘇惟光(これみつ)が豊臣秀吉の命により、花岡山で切腹。ここで武家大宮司の時代は終わり、以後は祭祀家として存続することになり、今に続いています。

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

阿蘇神社(旧官幣大社)

住所
熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
交通
JR豊肥本線宮地駅から徒歩15分
料金
参拝料=無料/幸福おみくじ=100円/恋みくじ(初穂料)=300円/勝守(初穂料)=500円/えんむすび御守(初穂料)=500円/

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・九州新幹線の開通で人の流れは変わったのか?

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