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「巌流島の戦い」として知られるストーリーは、どこから生まれたのか?

巌流島の決闘に関するもので最も古いのが、1654(承応3)年に建立された「小倉碑文(こくらひぶん)」です。宮本武蔵の顕彰碑であり、建立者は分かっていません。武蔵の養子である宮本伊織(いおり)、武蔵と交流があった泰勝寺(たいしょうじ)の春山玄貞(しゅんざんげんてい)などの説があり、近年では宮本武蔵の弟子である寺尾孫之丞(てらおまごのじょう)が関与したという説が有力です。

この小倉碑文には、「宮本武蔵が、兵術の達人である岩流(がんりゅう)と名乗る人物と舟島(ふなしま)で戦い、木刀の一撃で殺した」と、巌流島の決闘についてひどく簡単に刻まれています。佐々木小次郎という名前も、決闘のときに武蔵が遅刻したかどうかも、書かれていないのです。これでは決闘の様子など具体的なことは、何も分かりません。では現在知られるストーリーは、どこから生まれたのでしょうか。

「巌流島の戦い」について詳しく書かれている『二天記』

決闘の実像について詳しく記されているのが、1776(安永5)年に熊本藩家老・松井家に仕える豊田景英(とよたかげひで)がまとめた『二天記(にてんき)』です。宮本武蔵が1612(慶長17)年4月12日に「明朝、小次郎と仕合をする」という書状を出していること、決闘当日の朝に艪(ろ)を削って木刀を作ったこと、遅れてやってきた武蔵に小次郎が激怒したことなどが、細かく描写されています。

臨場感あふれる内容ですが、『二天記』が描かれたのは決闘から100年以上たってからのこと。史料として信用できるかというと、疑問が残ります。しかも戦いの様子は、その後もエピソードが追加されていくのです。なぜこのようなことになったのでしょう。

「巌流島の戦い」の様子は謎のままも弟子たちの啓蒙によって二天一流は国元で保護を受ける

考えられるのは、宮本武蔵の弟子たちによる流派アピールです。宮本武蔵は熊本藩細川家に仕え、自分が編み出した二天一流(流派名には諸説あり)を弟子たちに教えてきましたが、江戸時代半ばになると戦乱も少なくなり、剣術を学ぶものが減少。二天一流は、存続が危ぶまれる状態となります。
そこで弟子たちは熊本藩を出て、全国各地を行脚。師匠であった宮本武蔵の功績とともに、二天一流を広めます。その結果、「宮本武蔵という剣豪が、舟島で佐々木小次郎と決闘した」という、現在にも知られる物語の基礎が生まれたのではないでしょうか。弟子たちの努力が身を結び、二天一流は国元で保護を受けられたようです。

宮本武蔵と小次郎の決闘は歌舞伎や錦絵、人形浄瑠璃などさまざまな媒体で広められました。1737(元文2)年に大坂で初演された歌舞伎の演目「敵討巌流島」は、翌年に江戸でも上演されて人気演目となりますが、実際の決闘の様子は謎のままです。

「巌流島の戦い」の舞台となった舟島

もともと舟島は長府(ちょうふ)藩の領地で、用木山(ようぎやま)(藩主が用いる材木を供給する山)でした。なぜこの島が決闘の場所に選ばれたのかは分かりませんが、「当初下関で決闘しようとしたが許可がおりなかったため、舟島を選んだ」という説もあります。
1786(天明3)年の記録には、「佐々木小次郎の死後、舟島に小次郎の墓が建てられた」「地元の人は小次郎の義心に感服して、舟島を巌流島と呼ぶようになった」とあります。

小さい丘があり松が生い茂る美しい小さな島でしたが、大正時代に三菱造船所(みつびしぞうせんしょ)として埋め立てられ、姿を変えました。現在の巌流島は観光名所として整備され、カモンワーフから渡船が運行されています。伝承から生まれた歴史ロマンは、現在まで脈々と語り継がれているのです。

巌流島

住所
山口県下関市彦島船島
交通
JR山陽本線下関駅からサンデン交通長府方面行きバスで7分、唐戸下車すぐの唐戸桟橋から関門汽船巌流島行きで10分、巌流島下船
料金
唐戸桟橋~巌流島の乗船料(往復)=500円/

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・秋芳洞はどうやってできた?
・ストライプの地層とマグマが生んだ須佐ホルンフェルス
・岩の柱が林立! 玄武岩でできた俵島
・海上アルプスとも呼ばれる青海島の岩石造形
・3本の川による河川争奪の結末
・昔は陸続き!? 関門海峡誕生の秘密
・3つのマグマの胎動が鍵を握る萩と阿武の大地
・長門峡の成り立ちに迫る
・大畠瀬戸に渦潮が生まれる理由

…など

Part.2 山口を駆ける充実の交通網

・関門をつなぐ世紀の大事業は世界初の海底トンネルだった
・SL「やまぐち」号の勇姿/路線跡地を活用した遊覧車 一度は乗りたい! とことこトレイン
・山陽鉄道の建設を拒否した県都・山口の苦い歴史
・私道では日本一の長さ! 約32kmの宇部興産専用道路
・土木学会デザイン賞を受賞 絶景と調和した角島大橋
・藩主や維新志士も行き来した山陰と山陽を結ぶ萩往還
・下関と釜山を結ぶ航路は2国を結ぶ友好の懸け橋

…など

Part.3 山口で動いた歴史の瞬間

・周防鋳銭司は古代日本有数の造幣局だった!
・道真公が無実を願った場所に建立 日本初の天神さま
・平家一門最期の地・壇ノ浦
・西国の覇者が築いた「西の京 やまぐち」の基礎
・お家のために御屋形様を討つ! 陶隆房は逆臣だったのか?
・経済政策と人材育成で財政難を乗り切り雄藩に成長
・先人の情熱が生んだ錦帯橋
・奇数代藩主と偶数代藩主で菩提寺が違うのはなぜ?
・「巌流島の決闘」の真相とは

…など

Part.4 山口で生まれた産業や文化

・日本海側で夏みかん栽培? 廃藩後の萩経済を支えた主役
・全国からふぐが集まる下関
・近代捕鯨発祥の地・下関でおいしいくじら料理を食べる
・セメント町に硫酸町…地名に残る小野田の産業
・本州最西端の山口が工業県に発展したわけ
・伝統を今に伝える「錦帯橋のう飼」
・茶人に愛される萩焼の今昔とその魅力
・有楽町、原宿、代々木公園。周南市になぜ東京の地名が?
・萩市の世界産業遺産が語る長州藩のチャレンジ精神

…など

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