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台湾が民主化を果たした戦後の道のり 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月23日

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台湾が民主化を果たした戦後の道のり

第2次世界大戦の終結と同時に台湾は日本の統治から離れました。しかし、その後の歩みは平坦ではありませんでした。
台湾が歩んだ戦後の歴史をたどってみましょう。

台湾の民主化までの道のり:中国国民党が上陸し社会が混乱

1945(昭和20)年8月15日。日本はポツダム宣言を受諾し、長らく続いた戦争は終結しました。10月25日には台北公会堂(現・中山堂(ツォンサンタン)で台湾地区の降伏式典が開かれました。日本が放棄した台湾の管理は中華民国が担い、蒋介石(しょうかいせき)率いる中国国民党(国民党)の軍隊が台湾に上陸しました。
このとき、台湾の民衆は歓迎の爆竹を鳴らし、旗を振って迎えましたが、「祖国」を名乗って上陸した軍隊はあまりにも無惨な姿で、人々は失望しました。その後、国民党政府は占領軍のような振る舞いを続け、治安は悪化。物価も上昇し、またたく間に社会は混乱しました。

抗議運動が部両区で鎮圧された「228事件」

1947年2月28日、民衆は数々の横暴に対し、抗議運動を始めましたが、武力で鎮圧されます。これは「228事件」と呼ばれ、犠牲者は推定で約2万8000人とされています。
1949年5月19日には全土に戒厳令が敷かれ、蒋介石一派は独裁体制を維持するために反対派の粛清(しゅくせい)を繰り返しました。「白色テロ」と呼ばれるこの時代、事件として検挙されたケースは6万件、逮捕・投獄された人は20万人以上と推定されている。

中華民国の国連脱退と日本・アメリカとの断交

1971年10月25日、中国の代表権をめぐって中華民国は国連を脱退し、翌年には中華人民共和国と国交を樹立した日本と断交。正式な外交関係は消滅しました。1979年にはアメリカとも断交しました。

蒋介石は1975年4月5日に死去し、権力は息子の蒋経国(しょうけいこく)に受け継がれました。言論統制の時代は続き、個人が強い郷土意識を持ったり、台湾人として自立した思想を持つことは禁止されました。この時代、政府による独善的な偏向教育や各郷土言語への弾圧も行われました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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