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藤原経房の遺書に登場するおもな人物

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2022年3月30日

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藤原経房の遺書に登場するおもな人物

安徳天皇(あんとくてんのう)

第八十一代天皇、名は言仁、高倉天皇の第一皇子として、治承2(1178)年誕生。母は、平清盛の娘徳子。生誕の翌月親王になり、続いて立太子、翌々年の治承4(1180)年に、わずか三歳で天皇に即位した。父親の高倉天皇は皇位を退いて、上皇となります。
しかし即位の翌月には高倉上皇の腹違いの兄、以仁王(高倉宮)の乱が起り、平家の独裁的な権力にかげりが見え始めます。
寿永2(1183)年、木曽義仲軍に追われ、平家一門に奉じられて、都を後に西国へくだります。その直後に、都では高倉天皇の第四皇子尊成皇子の践祚が行なわれます、後の後鳥羽天皇です。安徳天皇というおくり名は、このときに付けられたものですが、この記事では分りやすいので最初からこれを用いています。正史では、二位の尼とともに、壇の浦で海底に沈んだことになっています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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