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全国の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

81〜100件を表示 / 全 1979件

藤原頼通~半世紀も摂関の座を占めた男から始まる藤原氏の終焉

藤原頼通は、平安時代を謳歌した藤原道長の子。若くして摂政となった藤原頼通ですが、そのおよそ50年後、外戚の地位を失うと、藤原氏の地位は急速に低下していきます。宇多天皇以来170年ぶりの、藤原氏を外戚と...

藤原兼家の摂政への道~氏長者を巡る争いに敗れるも諦めなかった策略家

藤原兼家(ふじわらのかねいえ)は、藤原道長の父。藤原兼家は、権力の座をめぐって兄・兼通(かねみち)と激しく対立します。兄に疎まれていた藤原兼家は、関白の座から遠ざけられても権力奪取の機会を諦めてはいま...

藤原隆家~中関白家としての没落から、大宰府での刀伊撃退まで

藤原隆家は、藤原道長の甥。藤原隆家は兄・伊周と道長の関白の座をめぐる争いに敗れ、大宰府の地に赴くも、その20年後に歴史の舞台に再び登場します。異民族襲来という未曾有の危機を退けたのが、花山法皇狙撃事件...

刀伊の入寇~異民族襲来という未曽有の危機。撃退したのは藤原のあの人物だった!

藤原道長が望月の歌を詠んだ翌年、北九州沿岸を女真族の船団が襲撃し、多くの住民が捕虜となりました。地元の豪族らとともに防戦に努め、刀伊の撃退に成功したのは、失脚して左遷されていたあの人物でした。...

台湾の玉山は北東アジアの最高峰~霊峰・新高山と明治天皇の秘話

台湾は島嶼でありながらも3000m級の山々が連なっています。その最高峰となるのが玉山で、終戦までは新高山と呼ばれていました。名実ともに台湾のシンボル・台湾の玉山には、日本統治時代のエピソードも残ってい...

台湾の日本統治時代をたどる~半世紀に及ぶ日本統治と19人の台湾総督

台湾が日本の統治下に置かれた半世紀(1895~1945)。この間に台湾には多くの変化が生まれ、現在に至っています。この半世紀とは台湾にとってどんなものだったのでしょうか? 日本統治時代の最高権力...

澎湖諸島の成り立ちと人類最古の漁法~台湾にあるジオパーク級の自然景観

澎湖諸島は、台湾海峡の要であり、唯一の陸地でもある島々です。 世界でもまれに見る好漁場とされる澎湖諸島海域の地理と産業。 厳しい気候に育まれた澎湖の表情に迫ってみましょう。...

烏山頭ダムは台湾南部を荒野を肥沃な土地に変えた大農水施設

烏山頭ダムは、清国統治時代には荒野が広がっていたという広大な嘉南(かなん)平野を、台湾最大の穀倉地帯に変えたダムです。 日本統治時代に、八田與一(はったよいち)技師によって立案された烏山頭ダムの計画...

台湾で八田與一がしたこと~台湾南部を沃野に変えた日本人

台湾で慕われる八田與一(はったよいち)は、日本統治時代に活躍した技師です。荒野だった台湾南部を一大農業地帯に変えた存在として知られ、慕われています。現在も台湾では、八田與一の慰霊祭が毎年実施されていま...

台湾鉄道と台湾高速鉄路の成長は続く~多彩な車両と個性的な駅舎

台湾鉄道は、時速300㎞の高速鉄道から昔ながらの客車列車、そしてナローゲージの産業鉄道まで、さまざまな列車が走っています。車両のバリエーションが豊富なことも台湾鉄道の魅力のひとつです。日本の新幹線シス...

媽祖巡行~航海の女神「媽祖」と歩く340km!台湾最大の宗教行事

台湾を代表する宗教行事として「媽祖(まそ)巡行」を挙げる人は少なくありません。 媽祖は「親しまれる女神」。キャラクター化されることも多い神様です。 台湾の人々に最も親しまれる航海の女神、媽祖とは?...

台湾は地震多発地域~台湾島の真下で沈みこむ2つのプレート

環太平洋造山帯に属する台湾島はユーラシアプレートとフィリピン海プレートが接する位置であり、日本と同じ、世界でも指折りの地震多発地帯です。台湾の地震科学の「今」を見ていきましょう。...

台湾の言語事情と政策~多言語を尊重し、平等な社会へ

台湾の電車やバスを利用すると、車内放送が長いことに気づきます。 交通機関だけでなく、公共空間の放送も複数言語対応です。 これは1つの内容を4つの言語で話すからです。その背景にあるのは多民族国家の「...

台湾海峡の歴史をたどる~さまざまな思惑が交錯する台湾海峡

台湾海峡は、最短部で100㎞余りときわめて狭い海峡です。 しかし地政学的な意味においては、常に枢要な場所でした。 この台湾海峡を舞台に各政権の思惑が、うごめいていたのです。そして、それは現在も。...

鄭成功と揺れ動く台湾~鄭成功と清国統治時代とは

鄭成功(ていせいこう)は、東シナ海と台湾海峡を舞台に活躍した英雄です。 鄭成功は台湾と深い関わりがありました。鄭氏政権による統治から清国、そして日本による統治へと、台湾は揺れ動いていきます。...

平安時代の後宮ってどんなところ?紫式部が暮らしていた後宮の生活とは?

貴族の文化が栄えた平安時代の後宮。政権を手に入れるため、藤原氏たちは娘を競って帝(みかど)に入内(じゅだい)させますが、皇子が誕生しなければ家の将来はありません。 どうやったら、天皇の寵愛を受け...

平安時代の文化~国風文化における貴族の娯楽・恋愛・結婚。その宗教観を知る~

平安時代の文化として一番にあげられるのが、国風文化です。 国風文化とは、従来の唐風(とうふう)(中国風)文化に代わる日本独自の和風文化のこと。 9世紀の遣唐使廃止をきっかけに変化したともいわれます...

台湾が民主化を果たした戦後の道のり

第2次世界大戦の終結と同時に台湾は日本の統治から離れました。しかし、その後の歩みは平坦ではありませんでした。 台湾が歩んだ戦後の歴史をたどってみましょう。...

台湾の歴史~さまざまな国に統治されてきた台湾の歴史とは?

太古より台湾に暮らす原住民族(先住民)に始まり、大航海時代のオランダやスペイン、そして鄭成功(ていせいこう)や清国、日本といったさまざまな外来政権によって統治されてきた台湾。 近年は目覚ましい経済発...

平安時代の藤原氏~宮廷と政治を掌握し栄華を極めた一族

平安時代を知るためのキーワードとして外せないのが、藤原氏です。 権力闘争を繰り返し、摂関政治を極めた藤原氏ですが、その始まりは飛鳥時代の教科書にも出てくる有名な人物だということをご存知でしょうか。ま...