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製鉄遺跡が多数発見されている福島・浜通り 大規模な製鉄が行われたのはなぜ? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月20日

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製鉄遺跡が多数発見されている福島・浜通り 大規模な製鉄が行われたのはなぜ?

古代の浜通りでは、大規模で組織的な製鉄が行われていました。
なぜ浜通りが選ばれたのでしょうか、その理由を律令国家とのかかわり方から探っていきましょう。

製鉄遺跡が福島県・浜通りで見つかった

太平洋の荒波が打ちつける浜通り地方には、北は阿武隈川河口から南はいわき市薄磯(うすいそ)にかけての広範囲にわたり、浜砂鉄(はまさてつ)が分布しています。川を伝って海に流れ出た砂鉄が、波によって砂浜に打ち上げられて堆積したものを浜砂鉄と呼びます。波にさらわれることで自然の比重選鉱(ひじゅうせんこう)が行われ、より製鉄に向く砂鉄となったわけです。

そして1980年代以降の発掘調査の結果、浜砂鉄の分布地域にほぼ重なるようにして、古代の製鉄遺跡が発見されました。このあたりの地域は、古代には宇多(うだ)郡や行方(なめかた)郡と呼ばれており、7世紀後半から9世紀後半にかけて大規模な製鉄施設が集中的につくられました。武井(ぶい)地区製鉄遺跡群(新地町)からは22基、大坪地区製鉄遺跡(相馬市)からは13基、金沢(かねざわ)地区製鉄遺跡群(南相馬市)からは123基もの製鉄炉が発見されています。

浜通りエリアよりも内陸で見つかった横大道製鉄遺跡

これらの地区よりやや内陸に位置する横大道(よこだいどう)製鉄遺跡(南相馬市)では、2007(平成19)年から2009(平成21)年にかけて発掘調査が行われました。良好な状態の遺跡が多数見つかっており、8世紀後半から9世紀中頃にかけての遺跡と推定されています。

おもな製鉄遺跡の分布

おもな製鉄遺跡の分布
『シンポジウム「鉄の道をたどる」予稿集』(福島県文化財センター白河館、2020年)を元に作成

浜砂鉄が採集できる沿岸地域に多くの製鉄遺跡が分布しています。とくに北部の相馬地方には遺跡が集中しており、全国有数の製鉄関連遺跡密集地帯となっています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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