フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  九州・沖縄 > 福岡県 >

「漢委奴国王印」のナゾは今も深まる

発見から200年以上経過し、多くの人々に知られるようになった今も「印文はどのように読むのか、その意味するものは何か」「なぜ志賀島なのか」といった完全には解明されていない謎が少なくありません。
そして、真贋論争―2000年前の後漢代に中国で作られて弥生時代の日本にもたらされたものか、200年前の江戸時代に日本で作られたものか―も続いています。

「漢委奴国王印」金印とは?

中国の漢の時代、印は地位や身分を証明するものであり、その材質や綬(じゅ)と呼ばれる絹紐の色などによって格を定めた印章制度がありました。綬とは印と腰帯を結ぶ絹の長い紐で、印を懐に入れて携帯するときも綬を着物の外に垂らして見えるようにして身分を表しました。
志賀島出土の金印は紫色の綬とともにもたらされたと考えられており、王侯クラスの印綬とみられます。

当時の印は現代のハンコのように紙に押すものではなく、外交文書などの「封印」のために使用されました。印面の文字の部分が彫り込まれている(陰刻)のは、封の粘土(封泥(ふうでい)と呼ばれる)に押した文字を浮かび上がらせるためです。この金印が実際にそのような使われ方をしたかは定かでありませんが、「漢委奴国王」の封泥が発見される日を期待したいものです。

「漢委奴国王印」金印:鈕(ちゅう:つまみの部分)

鈕(ちゅう)と呼ばれるつまみの部分は動物を象ったものが多くあります。
動物の種類は授ける相手に応じて作り分けられています。亀は漢王朝の直接支配地域、ラクダや馬などは北方民族に多い傾向があります。自国内だけではなく、周辺の異民族にも印を与えることで、皇帝を頂点とする秩序に組み込もうとする狙いがあったようです。
志賀島の金印はとぐろを巻いた蛇を表現しています。蛇鈕印は南方民族に与えられた事例が知られ、日本列島も東方にあって温暖な地という認識が当時の中国にあったと考えられています。

「漢委奴国王印」金印:彫りこまれた文字

一辺約2.3センチの印面には篆書体(てんしょたい)で「漢委奴国王」と彫られています。後漢初期の一寸サイズで、書体もこの時代のものと合致しています。
「委奴」の読み方は今でも議論になっていますが、これまで「やまと」、「いと」、「わのな」などと読まれてきました。「いと」以外は「委」を「倭」の通字とみます。倭は各種の歴史書に出てくる日本の古い呼称です。漢代の印文構成の原則からも、「漢」(王朝名)+「倭(委)」(民族名)+「奴」(部族名)という解釈がもっとも有力です。

「奴国」とは

「奴国王」は「なのこくおう」または「なこくのおう」と読みます。
「奴国」は3世紀代の歴史書である『三国志』の『魏書』東夷伝倭人条(とういでんわじんのじょう)(いわゆる「魏志倭人伝」)にも記された有力国のひとつです。その領域は福岡平野を中心とし、本書で紹介されているような弥生時代の重要遺跡が数多くみつかっています。博多湾沿岸には弥生時代の倭でもっとも先進的な国が形成されており、金印を手にする資格は備わっていました。

「漢委奴国王印」金印は奴国の優れた外交力と国際的な活躍のあらわれ?

金印の年代、すなわち、奴国王が後漢王朝の首都・洛陽へ使者を送った建武中元2(57)年は、劉秀(光武帝)が漢に取って代わった新王朝を倒して漢王朝を再興する時代です。この前年に天下泰平を感謝する封禅(ほうぜん)の儀式が泰山(たいざん)で執り行われています。
奴国王の遣使は絶妙なタイミングでした。遠方からの来朝は、王朝の安定と皇帝の徳を示す大変めでたい出来事として迎えられたようです。奴国は中国大陸の情勢を把握して外交を行っていたのでしょう。金印は奴国の優れた外交力と国際的な活躍を示すモニュメントともいえます。

「漢委奴国王印」金印がなぜ志賀島に埋められたのかはナゾのまま

このような金印がなぜ志賀島に埋められたのかは謎のままです。印に記された漢王朝と奴国の実態や権威がなくなっていく古墳時代以降には、そのありがたさが薄れてしまったのかもしれません。福岡平野から離れた志賀島で大きな遺跡はみつかっていませんが、その位置は博多湾口の中央にあって、外海との境界です。当時の外洋航路の要地であり、博多湾一帯ににらみが利く地が選ばれたのでしょうか。

島の北東部は玄界灘に面し、南西部は博多湾に面する島。ここで天明4(1784)年に金印が発見された。

「漢委奴国王印」の本物が見られる! 福岡市博物館へ行こう

未だ謎だらけの金印ですが、福岡市博物館では本物の金印をじっくりと眺めることができ、撮影することも可能です。

ほかにも黒田節で有名な名鎗「日本号」を常設展示し、古くからアジアとの交流拠点として発展してきた福岡の歴史とくらしを紹介。収蔵品をテーマごとに展示し、定期的に更新する4つの企画展示は見ごたえがあります。アジア各国の楽器やおもちゃで遊べる体験学習室などもあります。

福岡市博物館

住所
福岡県福岡市早良区百道浜3丁目1-1
交通
JR博多駅から西鉄バス福岡タワー行きで25分、博物館北口または博物館南口下車、徒歩5分
料金
常設展示室・企画展示室共通観覧料=大人200円、高・大学生150円、中学生以下無料/3Dフィギュア黒田官兵衛=3630円/金印のストラップ=1018円/ペンダント=1320円/スタンプ=723円/

『福岡のトリセツ』好評発売中!

福岡県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。福岡県の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

●収録エリア
福岡県全域

【注目1】地図で読み解く福岡の大地

「筑紫次郎」と呼ばれた暴れ川・筑後川の流域に豊かな暮らしと利水事業をもたらした四大堰とは?、約3000万年前の古第三紀漸新世の海成層「芦屋層群」の成り立ち、福岡唯一のカルスト台地「平尾台」の最深部に迫るなど、福岡のダイナミックな自然のポイントを解説。

【注目2】福岡を走る充実の交通網

全国で唯一本州を起点としない電車&バス「西鉄」はどうやって誕生したか?、水陸兼用で日本初の国際空港だった雁ノ巣飛行場、福岡を走る在来線の一部は石炭を運ぶために作られた!?、平成筑豊鉄道のユニークな駅名のお話…などなど、意外と知られていない福岡の交通トリビアを厳選してご紹介。

【注目3】福岡で動いた歴史の瞬間

日本最古の稲作遺跡「板付遺跡」、金印が出土した「志賀島」、世界遺産に登録され神宿る島として一躍有名になった「宗像・沖ノ島」、女王卑弥呼が君臨した邪馬台国かもしれない「伊都国」、新元号・令和の典拠となった万葉集が詠まれた「太宰府」など、福岡は歴史ファンにはたまらないロマンの地。福岡の歴史は知れば知るほど面白い。

『福岡のトリセツ』好評発売中!

リンク先での売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!