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松本城の歴史~取り壊し危機を救ったのは松本の住民だった!~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

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松本城の歴史~取り壊し危機を救ったのは松本の住民だった!~

全国のほかの城と同様、明治維新の直後に松本城は取り壊しが決まっていました。しかし、解体の危機を救ったのは、松本の市民たちでした。

松本城の歴史①:明治維新後の城の仕分けで「存城」扱いに

明治維新後、1871(明治4)年7月の廃藩置県で松本藩は松本県となり、松本城の二の丸に県庁が置かれました。同年11月には第一次府県統合により筑摩県が誕生することになりますが、それに先立つ10月、松本城の天守は松本県から兵部(ひょうぶ)省へと移管されていました。明治新政府の方針としては、城郭はすべて破却し、陸軍省(1872年に兵部省を廃止して陸軍省と海軍省が設置)の管轄下で軍用地とする予定でした。

とはいえ、すべての城が軍用地として必要だったわけではありません。1873(明治6)年の廃城令施行を前に、全国の城が「存城(陸軍の財産として残す)」か「廃城(大蔵省の財産として処分)」に仕分けされ、松本城は「存城」扱いとなったのです。

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