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備中松山城の歴史②:池田氏の入封により備中松山藩が成立

1617(元和3)年には小堀氏に代わって大名の池田氏が入封し、備中松山藩が成立。この時にはすでに一国一城令が発布された後だったため、新たに城が造られることはありませんでした。もし最初から池田氏が入封していたら、もっと便利な場所に新しい城を築いてそこで政務を行っていたかもしれません。6万5000石の大名である池田氏は家臣も多いため、武家屋敷の整備に着手。商人町の下町や、職人町の鍛冶町も建設されました。

備中松山城の歴史③:水谷氏が入封し城の大改修を行う

しかし池田氏はわずか2代で断絶となり、水谷(みずのや)氏が入封。城下町の町割や小路が整備され、備中松山の城下町が完成しました。2代藩主・水谷勝宗(かつむね)は、備中松山城を大改修。1681(天和元)年から3年かけて、城を近世城郭として整備しました。現在見られる2層の天守は、このときに改修されたものです。

備中松山城の歴史④:藩命が高梁藩となる

ところが水谷氏も3代で断絶となり、その後も数年~十数年ごとに城主が交替。1744(延享元)年に入封した板倉氏が、備中松山を治めることになります。7代藩主・板倉勝静(かつきよ)は、井伊直弼に代わって老中筆頭になった人物です。戊辰戦争の際、国元は恭順の意を示したため城下町は攻撃されませんでしたが、勝静が五稜郭まで転戦したため、備中松山藩は朝敵とされました。同名の伊予松山藩が早い段階で恭順したため、新政府は敵対した側の備中松山藩に、藩名の変更を要請。1869(明治2)年に高梁川の名前からとった「高梁藩」に改名したことが、現在の高梁市の由来となっています。

備中松山城の歴史⑤:廃条令により大蔵省管轄となる

1873(明治6)年の廃城令により、日本国内の城は「軍事利用可能な城」と「軍事利用できない城」に仕分けられました。軍事利用可能な城とされた城は軍の管轄となり司令部などに利用、軍事利用できないとされた城は大蔵省に接収され民間に売却されました。備中松山城は大蔵省管轄となったのですが、その後の経緯がはっきりしません。民間が城を購入する理由の大半は、材木や瓦目当てです。山中にある城を壊して、山麓まで材木を持って降りると採算が合わないなどの理由で、放置されたと考えられています。

備中松山城の歴史⑥:奇跡的に現存した鎌倉時代の城

荒れ放題になっていた備中松山城に脚光が当たったのは、昭和に入ってから。旧制中学校の教師が備中松山城の調査を行い、「郷土の宝」と発表。地元住民の後押しもあり、1939(昭和14)年には当時の町の予算の1/3程度を当てて城の大修理が行われました。この結果、1941(昭和16)年には国の重要文化財に指定されます。
第二次世界大戦中の空襲により、各地に現存していた城の大半が焼失しました。しかし高梁市には軍需工場もなく備中松山城は山頂にあって目立たなかったため、空襲の攻撃目標になりませんでした。さまざまな要因が重なって、現在私たちは、鎌倉時代から伝わる城の姿を見ることができるのです。

備中松山城

住所
岡山県高梁市内山下1
交通
JR伯備線備中高梁駅からタクシーで10分、8合目から徒歩20分
料金
大人500円(障がい者手帳持参で1名入館無料)

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Part.1 地図で読み解く岡山の大地

・瀬戸内海はどうやってできた?岡山県の成り立ち
・美作はなぜ西日本有数の温泉地なのか
・岡山県指定天然記念物井倉洞はどうやってできた?
・山から貝の化石がとれる不思議
・その大きさは世界2位! 児島湖はなぜ造られたのか?
・「晴れの国岡山」は「天文王国おかやま」だった!
・笠岡市がカブトガニ有数の生息地になった理由

…などなど岡山のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 岡山を走る充実の交通網

・瀬戸大橋が鉄道と併用できた理由
・西日本唯一の臨海鉄道線「水島臨海鉄道」の変遷を知る
・わずか16年で廃線になった、幻の三蟠鉄道
・津山扇形機関車庫から見る、岡山県の鉄道の歴史
・山陽新幹線は岡山発が多い?交通の要所・岡山駅のスゴさ
・日本で最も短い路面電車が地元で愛される理由

…などなど岡山ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 岡山で動いた歴史の瞬間

・伝説の城「鬼ノ城」は古代日本の防衛ラインだった
・巨大古墳群からひもとく吉備国と大和朝廷の関係
・戦国大名・宇喜多直家は、邑久郡の小領主だった
・難攻不落の備中高松城を、血を流さずに攻め落とせ!
・宇喜多秀家が基礎を築き池田家が整備した城下町
・岡山藩藩主の憩いの場として築かれた大庭園・後楽園

…などなど、激動の岡山の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 岡山で生まれた産業や文化

・古墳時代から受け継がれる備前焼
・岡山県の名産品・白桃は、なぜこんなにおいしいのか?
・蒜山原野の開拓とジャージー牛導入の歴史
・養蚕・イグサ・綿・デニム…。岡山が誇る繊維業
・瀬戸内工業地域・水島コンビナートの誕生秘話
・倉敷市が一大観光地に成長した理由
・刀工集団・長船派は、どのようにして生まれたのか

…などなど岡山の発展の歩みをたどる。

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