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石川啄木の盛岡中学校在学時代

石川啄木が文学に関心をもったのは、盛岡中学校在学時です。当時の盛岡中学校には、のちに言語学者となる金田一京助(きんだいちきょうすけ)など文学を愛する生徒が多く、石川啄木もその影響を受けて与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶子(あきこ)らの詩歌に触れ、自らも短歌の創作をするようになります。

文学に熱中するあまり学業がおろそかになり、試験で不正行為を行ったため、石川啄木は盛岡中学校を退学することになってしまいます。実家の収入が減って上級学校への進学が望めなかったなど、ほかにもさまざまな事情があったようです。しかし石川啄木は、上京して文学で身を立てていくという夢に燃えていました。

石川啄木の挫折

1902(明治35)年、17歳で単身上京。望を胸に東京へやってきた石川啄木でしたが、現実は厳しかったのです。英語の翻訳で生活費を稼ぐ計画は実現せず、さらには病気になってしまいます。そして、1903(明治36)年に早くも帰郷することとなります。

石川啄木の結婚と一家離散

早々に挫折を味わった石川啄木ですが、文学への志が消えたわけではありませんでした。帰郷した年の12月には、東京新詩社の雑誌『明星』で初めて「啄木」の筆名で詩を発表。1905(明治38)年5月には初の詩集『あこがれ』を上梓

そして中学時代から交際していた堀合節子(ほりあいせつこ)と結婚するものの、ここでまた壁が立ちはだかります。

父が宗費を滞納し、住職を罷免されたのです。石川啄木はひとりで両親と妹、妻を養わなければならなくなりました。この頃に文芸誌『小天地』を創刊するも1号で終わります。

その後、石川啄木は渋民尋常高等小学校代用教員として働きながら小説の執筆に挑戦していましたが、結局一家は離散します。

石川啄木は北海道に渡り、小学校代用教員、新聞記者など職を転々としながら1年ほど流れ歩きます。そして小説で文学の道に再挑戦しようと上京しますが、またも生活は行き詰まります。

石川啄木の成功と27年の生涯

しかし、遊びとして創作を続けていた短歌で、石川啄木に転機が訪れます。石川啄木は、伝統に縛られない新しい短歌の様式を生み出しました

詩は「人間の感情生活の厳密なる報告、日記でなければならぬ」として、実生活の素朴な出来事や感情を、口語的で率直な表現で歌ったのです。1910(明治43)年には歌集『一握(いちあく)の砂』を刊行し、大きな反響を呼びました。

ところが、成功も束の間、石川啄木は1912(明治45)年に結核で27年の生涯を閉じます。

石川啄木が没してすでに100年以上が経ちます。ですが、平凡な日常をありのまま、わかりやすい言葉で詠む石川啄木の短歌は、現代を生きるわたしたちの胸にも素直に響きます。

石川啄木ゆかりの地と歌碑

石川啄木ゆかりの地と歌碑

①盛岡駅前広場 歌碑
ふるさとの山に向ひて・・・

②盛岡城跡公園二ノ丸 歌碑
不来方のお城の草に・・・

③ローソン盛岡大通り二丁目店前 歌碑
新しき明日の来るを・・・

④岩手銀行本店横 歌碑
盛岡の中学校の・・・

⑤岩手医科大学附属内丸メディカルセンター入院棟前 歌碑
学校の図書庫の裏の・・・

⑥富士見橋 歌碑
岩手山 秋はふもとの・・・

⑦御厩橋たもと 歌碑
中津川や 月に河鹿の・・・

⑧盛岡天満宮 境内 歌碑
病のごと 思郷のこころ・・・

⑨盛岡天満宮 狛犬台座 歌碑
松の風 夜昼ひびきぬ・・・
夏木立 中の杜の石馬も・・・

⑩下橋中学校 校庭 歌碑
その昔 小学校の征屋根に・・・

⑪下橋中学校前 歌碑
教室の窓より遁げて・・・

⑫江南義塾盛岡高校 体育館横 歌碑
己が名をほのかに呼びて・・・

⑬赤平グリーンプロット 歌碑
茨島の松の並木の街道を・・・

⑭岩山公園 啄木望郷の丘 歌碑
岩手山 秋はふもとの・・・
汽車の窓はるかに・・・

⑮岩山公園 岩山展望台下 歌碑
それとなく 郷里のことなど・・・
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ・・・

⑯盛岡市役所裏 中津川原 歌碑
中津川や 月に河鹿の・・・

⑰啄木新婚の家
結婚当初の啄木と節子が、両親や妹とともに暮らした家。生活が逼迫し、わずか3週間ほどで転居します。随筆「我が四畳半」に当時の生活のことが書かれています。

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Part.1 地図で読み解く岩手の大地

・盛岡のまちを見守る名峰 岩手山はどうやってできた?
・宮沢賢治が名付けた理想の地? イーハトーヴの風景地とは
・三陸海岸のうち南部だけが リアス海岸になっている理由
・三陸沖で多発する地震と 津波発生のメカニズムを探る
・平泉の黄金文化を支えた 玉山金山はどこがすごい?
・カルスト台地に刻まれた猊鼻渓と 幽玄洞は古生代の化石の宝庫!
・ティラノサウルス類化石も発見! 国内最大の琥珀産地・久慈

などなど岩手のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 岩手を駆け抜ける鉄道網

・軌道から車両まで対策は万全! 積雪地帯を快走する東北新幹線
・一ノ関以北で客車が走り続けた 大幹線・東北本線の歴史と実力
・急勾配を克服する物流の幹線 IGRいわて銀河鉄道がすごい!
・『銀河鉄道の夜』の原風景を走る岩手軽便鉄道に始まった釜石線
・三陸縦貫鉄道を引き継ぎ誕生! 沿岸部を走る三陸鉄道リアス線
・龍ヶ森の急勾配を越えろ! 奥羽山脈を横断する花輪線

などなど岩手ならではの交通事情を網羅。

Part.3 岩手で動いた歴史の瞬間

・人々が定住し集落が生まれ 南北それぞれの文化が発達
・胆沢平野を中心に米作が進み 強大な権力も生まれる
・蝦夷のリーダー・アテルイと ヤマト王権の熾烈な争い
・安部氏から奥州藤原氏 やがて群雄割拠の戦乱へ
・前九年・後三年の役が終結し 花開いた黄金の平泉文化
・大崎氏と斯波氏の時代を経て 南部氏と伊達氏が台頭
・戊辰戦争での敗北から 紆余曲折ののち岩手県が成立

などなど、激動の岩手の歴史に興味を惹きつける。

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