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富山大空襲により目標とされた区域99.5%が消失

目標区域となったのは、富山城址公園の南東の角を中心に半径約1.2㎞のエリア。この地域の99.5%が爆撃によって焼失し、目標区域における1度の空襲では、国内最大の破壊率となります。遺体は神通川原に並べられ、河川敷は約1カ月間にわたって燃え続けました。

富山大空襲は事前に告知をされていたが市民の目に届かず

死者は2737人となり、約11万人もの被災者を出します。同日に空襲を受けた八王子や水戸では避難の指示が出ていたため、犠牲者は数百人ほどでした。しかし富山ではそのような指示はなく、戦時中の防空法制によって空襲の際に逃げることは禁止されており、その場に留まって消火活動しなければいけないという教えが浸透していたため、それに従って留まる人が多かったことが大きな被害に繋がります。もちろん逃げようとした市民もいましたが、警察や憲兵に戻って火を消すように押し留められました。

8月1日夜10時ごろに空襲警報が発令されますが、しばらくして警報が解除されてしまい、そこで市民の気が緩んだことも想像に難くありません。さらに、富山に空襲が起こる前に、アメリカの飛行機が「近いうちに富山に空襲をおこなう」というビラを4万5000枚ほど撒いていたにも関わらず、軍や警察がそれを回収したため、そのビラが市民の目に触れることは少なかったのも要因です。

富山大空襲当日の天候も被害を拡大させた

風の強さも被害を広げました。この夜は南西の強風が吹き、晴天であったため、火災をどうすることもできなかったのです。焼失を免れたのは富山県庁や電気ビルなど、数えられるほどのわずかな建造物のみ。すさまじい被害となったのは、このようにいくつかの要因が重なってしまったからです。

富山大空襲が実行された要因

米軍は日本を空襲するにあたり、基本的には人口の多い商工業都市を目標としていました。ちょうどこの頃の富山は、富岩(ふがん)運河の開通や東岩瀬港の改修を背景に、特に北部が工業地帯として成長を遂げている最中でした。公開された米軍の作戦書でも富山市は日本海側第3の都市として位置づけられており、軍需工場が集中していることが記されていました。しかし、実際にこの空襲で狙われたのは市街地だったのはなぜでしょうか。これは米軍が、工業地帯ではなく市街地の人口密集地帯を焼き払い、国民に精神的なダメージを与えることに重きを置いたため、工業地帯ではなく市街地の人口密集地帯を焼き払うことに目的を変更したという指摘があります。

富山大空襲の被害写真はアメリカの第二次世界大戦博物館に展示

アメリカのニューオーリンズには、第二次世界大戦博物館があります。太平洋戦争のギャラリーには、広島と長崎の写真のほかに、燃え上がる富山の市街地を写した写真も展示されています。しかしアメリカでも同様に、広島と長崎は知っていても、富山大空襲について知る人は少ないのです。実は富山大空襲が起こった日は、アメリカにとって大きな意味がある日。陸軍航空軍創設38周年の記念日だったのです。ゆえに、この日は祝賀爆撃という名目で最大兵力が投入されていたどころか、この日を皮切りに爆撃を2倍にして戦争を早く終わらせるという意図すらあったといわれています。アメリカも積極的にこの事実を語り継ぎたくない、ということなのかもしれません。

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Part.1 地図で読み解く富山の大地

・立山連峰との高低差4000m!「きときと」ぞろいの富山湾
・黒部ダムが大電源を生み出すまで
・崩壊を続ける立山カルデラ
・極東の氷河の南限は立山! 国内初の氷河認定とライチョウ
・神秘の光景! 魚津の蜃気楼と雨晴海岸の気嵐
・2000年前に形成された魚津埋没林
・富山の水がおいしいヒミツ
・立山の地下には「何か」がある! 活断層はあるのに地震が少ない理由
・富山湾のホタルイカはなぜ有名?

…など

Part.2 富山を駆ける充実の交通網

・北陸新幹線開業による光と影
・河川敷にある富山きときと空港
・SDGs未来都市に選定 ライトレールが象徴するまちづくり
・伏木港は神戸港に憧れた男の夢
・立山の観光ルートは1つじゃない? 一般開放が待ち遠しい黒部ルート
・マッターホルンの麓町から着想 低速電気バスEMUと宇奈月温泉
・鉄オタ集結地! 富山県は公共交通の宝庫
・V字峡谷を走るトロッコ電車

…など

Part.3 富山の歴史を深読み!

・江戸時代は鮎だった! 駅販売で広がったます寿し
・富山県成立までの複雑な歴史/越中の英雄・佐々成政の人物像
・焼け野原と化した富山大空襲/富山の遺跡&古墳は個性派ぞろい
・放生津に存在した亡命政権
・越中の伊能忠敬 射水出身の測量家・石黒信由
・越中の黄金郷 加賀藩極秘の「越中の七かね山」
・北陸近代医療の父・黒川良安
・世界遺産は加賀藩の軍事工場 五箇山でおこなわれた塩硝づくり

…など

Part.4 富山で育まれた文化や産業

・「越中おわら節」はなぜ有名?
・財政難を立て直した富山の売薬
・布教のためのテキストだった 曼荼羅から読み解く立山信仰
・秀吉も称えた伝説の刀工・郷義弘
・売薬商人は危ない橋を渡っていた? 薬の密貿易が生んだ昆布文化
・有名な創業者も多く輩出 富山県民は倹約家で働き者
・ジャポニズムの立役者・林忠正
・アニメの聖地が多い富山県
・瑞泉寺再建から始まった井波彫刻

…など

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