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五箇山の塩硝は石山合戦でつかわれていた

日本に火薬が伝えられたのは、天文12(1543)年、種子島に鉄砲が伝えられたのと同時期とされています。火薬の主原料となる硝石(煙硝)は水に溶けやすい性質で、雨の多い日本では天然資源として産出せず、人工的につくるしかありませんでした。製法がいつ頃どのように人工的に煙硝をつくる方法が伝わったのかは明らかではありませんが、織田信長と本願寺が争った石山合戦(1570~1580年)では、すでに五箇山産の塩硝が本願寺に送られたとされています。

五箇山の塩硝づくりの工程

五箇山では、合掌造りの家屋の床下で積極的に硝酸イオンを蓄積させ、硝酸土そのものをつくっていました。囲炉裏のそばに穴を掘って1間四方ぐらいの空間を作り、春・夏・秋ごとに藁、蚕の糞、ヨモギを混ぜて土と交互に重ね、数年後、土に成分が移った頃、その焔硝土に水をくぐらせ、その水を煮詰めて塩硝を抽出するという方法です。囲炉裏のそばに穴を掘るのは、冬でも温度が左右されず、化学変化が促進されるからです。この工程によって、5年ほどで発酵熟成した硝酸土ができあがります。最終的にはこの土の灰汁を煮詰めることで、塩硝が完成します。五箇山ではほとんどの家でこの作業がおこなわれており、大きな草苅場や広い作業場が必要となるため、家の大きさに応じて塩硝の生産量は異なっていたようです。

一般的な塩硝づくりの工程

一般的な煙硝づくりは、雨の影響が少ない床下で自然発生する硝酸イオンを含む土を使うというものでした。床下に潜り込んだ小動物の排泄物、毛・死骸、住む人の垢、毛などが長い年月をかけて硝酸イオンに変化するまで待たなければならず、完全に自然任せの方法であるため、一度床下の土を取り出すと、次に採取できるまで数十年はかかるというデメリットがありました。

五箇山の塩硝づくりは一石二鳥

合掌造りの床下では塩硝づくりがおこなわれ、屋根裏部分は養蚕に活用されました。屋根裏部分に囲炉裏の熱が届くよう天井には隙間が開けられており、そこから囲炉裏の熱とともに煤が柱の縄に染み込むため、建物の強度が増す効果ももたらします。そしてもちろん、ここで育った蚕の糞が硝酸土の材料になります。糞に含まれるアンモニアが、硝酸をつくる微生物のエサになるという重要な役割を持っていたのです。

五箇山の塩硝づくりは日本一

幕府やほかの藩でも煙硝は製造されていましたが、この五箇山独自の技法のおかげで加賀藩の塩硝は量と質が抜きん出ており、日本一とまでいわれていました。五箇山は罪人の流刑地とされるほど奥深い山間部で、塩硝つくりに不可欠な草・蚕糞・薪木が容易に入手できたため、生産地としてふさわしかったのでしょう。ちなみに五箇山一帯を流れる庄川に橋が架けられなかったのは、流刑人の逃亡を防ぐためだったといわれています。

五箇山の塩硝は明治初期チリから安い硝石が輸入されるまでつくり続けられ塩硝街道と呼ばれる険しい山道を運搬されていた

五箇山で出来上がった塩硝は、「塩硝街道」とよばれる険しい山道を人力や牛によって運搬され、金沢市涌波(わくなみ)にあった土清水(つっちょうず)塩硝蔵に運ばれました。

明治初期、チリから安い硝石が輸入されるようになるまで、五箇山で塩硝はつくられ続けました。かつて塩硝づくりをおこなっていた家のなかには、今でも床下の土から煙硝をつくり出せるところもあるといいます。世界遺産に登録された場所がかつて世界的にも例のない大規模な軍需工場であったという史実も、五箇山の魅力の1つといえるでしょう。

五箇山から土清水塩硝蔵への主な搬送路が4通り存在し、図で示したルートが主要なものといわれています。

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