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五能線の歴史

五能線の歴史は古く、1908(明治41)年、官設鉄道により能代(現・東能代)〜能代町(開業時は能代町荷扱所。現・能代)間を開業したことに始まります。貨物路線として開業し、早々に旅客営業も開始しました。初代能代駅は市街地から離れており、市街地の能代町を結ぶ奥羽本線の支線として開業。のちに能代線と命名されました。

他方、五所川原(ごしょがわら)側では1918(大正7)年9月、私鉄の陸奥(むつ)鉄道が川部〜五所川原間で開業。能代〜五所川原間は、旧・鉄道省が陸奥岩崎(むついわさき)駅を境に能代側を能代線、五所川原側を五所川原線として建設、延伸を繰り返しました。しかし、海岸線は難工事の連続で開通には時間がかかりました。陸奥岩崎〜深浦間が開通し全通したのは1936(昭和11)年7月のこと。五所川原線、能代線の文字を取り五能線と改称されました。

以来、五能線は沿線の小さな町を結び、厳しい自然の中を長らく列車が走り続け、地域の生活を支えてきました。しかし、五能線は沿線の過疎化やモータリゼーションの進展で将来が不安視され、廃止がささやかれることに。そんな窮地を救ったのが観光列車の導入でした。

五能線に全国から観光客を呼んだ「ノスタルジックビュートレイン」

ローカル線が観光資源になるなど誰もが信じなかった時代、JR東日本秋田支社が総力を上げて1990(平成2)年4月に投入したのが「ノスタルジックビュートレイン」です。既存の客車を改造し、絶景を堪能できるよう眺めのよいワイドな窓と展望デッキを設けた専用車両を用意。これをカラフルな機関車が牽引し、観光列車として五能線に運転させたのです。

たちまち大ヒットし、赤字ローカル線の五能線に全国から観光客が訪れるようになりました。

五能線の「リゾートしらかみ」は観光列車のパイオニア!

1997(平成9)年3月の秋田新幹線開業では、秋田市に訪れる観光客を五能線にも誘致するべく新たな観光列車「リゾートしらかみ」を開発し、同年4月から運行を開始。側窓を可能な限り拡大し、ゆったりとしたクロスシートを備え、4人用の簡易個室も設けました。先頭車にはラウンジもあり、前面展望も眺められます。

設備だけではなく、車内では「津軽三味線の演奏」「津軽弁語り部体験」も行われ、駅停車時間には観光イベントを実施し、観光体験メニューまで用意。また、岩館〜大間越間のほか、眺望のよい区間では徐行運転をするなどサービスに徹した列車となり、運行開始以来、大好評を得ています。

その後、嗜好を凝らした観光列車が全国に普及しましたが「リゾートしらかみ」こそが現在の観光列車のパイオニアなのです。

五能線と「リゾートしらかみ」は、テレビなどメディアで紹介されることも多く、その知名度はうなぎのぼり。「日本で一番乗りたい」路線とまでいわれるまでになった五能線は、今後もますます多くの人々に愛されていくことでしょう。

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地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から秋田県を分析!

秋田県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。秋田の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報を満載!

Part.1 地図で読み解く秋田の大地

・秋田県の地形総論
・火山の痕跡や地殻変動を体感!男鹿半島ぐるり1周ジオ巡り
・世界最大の二重カルデラ湖「十和田湖」はどうやって生まれた?
・地下にかつての雄物川の流路!? 秋田平野が形成の驚きのしくみ
・黒川や雄物川流域に油田続々!秋田ではどうして油が採れる!?
・ブナ林が発達し海成段丘が縁取る 起伏が激しい白神山地の形成史
・美しき田園・象潟の九十九島は鳥海山の山体崩壊でできた
・大館・鷹巣・鹿角盆地と能代平野 米代川流域に形成された地形の謎

Part.2 秋田を駆ける充実の交通網

・全国2番目のミニ新幹線、E6系「こまち」が走る秋田新幹線
・一部レール幅を変えて新幹線もいく!福島~青森を結ぶ幹線・奥羽本線
・新津~秋田を結ぶ日本海側の動脈 寝台特急「日本海」も走った羽越本線
・米代川に沿って走る本州横断線 スイッチバックも見事な花輪線
・東能代~川部を結ぶ絶景ローカル線 「リゾートしらかみ」が走る五能線
・鷹巣と角館を結ぶ旧国鉄角館線 秋田内陸縦貫鉄道は見どころ満載!
・釜石~横手~本荘を結ぶ大計画も!? 由利高原鉄道鳥海山ろく線がすごい
・小坂鉱山の鉱石輸送のため開業 旅客輸送も担った幻の小坂鉄道/昭和40年代に消えたローカル私鉄 羽後交通の雄勝線・横荘線とは?

Part.3 秋田の歴史を深読み!

・秋田の古代史総論
・大型住居跡やストーン・サークルなど秋田県の縄文遺跡がおもしろい!
・出羽柵が遷置・整備されて秋田城と呼ばれるようになった
・奥羽を支配した出羽の豪族・清原氏が後三年の役により滅亡
・秋田の中世史総論
・八郎潟東岸を拠点とする大河兼任が鎌倉幕府に対して反乱を起こす
・秋田の近世史総論
・佐竹氏の入部以降、鉱山開発が進み鉱業が秋田藩の財政を支えた
・古来より栄えていた舟運に加え街道が整備され交易が盛んに!
・近現代史総論/奥羽越列藩同盟を離脱し新政府側へ 秋田藩の戊辰戦争と戦後のゆくえ
・日本最後の空襲となった土崎空襲 どうして土崎港が狙われたのか?

Part.4 秋田で育まれた産業や文化

・全国屈指の産油量だった秋田県がシェールオイルの開発・商業生産へ
・秋田港、船川港、能代港 三つの重要港湾が海上輸送網の拠点
・国内有数の米どころ・秋田県は農業産出額の5割以上を米が占める
・かつては国内2位の広さを誇る湖!? 八郎潟の干拓と大潟村の歴史
・古来より建材や工芸品に用いられた秋田杉の活用と保存の取り組み
・日本のロケット発祥の地は秋田県の道川海岸だった!
・地熱発電や風力発電などの再生可能エネルギーの導入が加速
・県内各地で伝承されている民俗芸能 国指定重要無形民俗文化財は国内最多!

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