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秋田戦争で多大な被害を被った久保田藩~戊辰戦争で奥羽越列藩同盟を離脱し新政府側軍となった結果とは? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月17日

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秋田戦争で多大な被害を被った久保田藩~戊辰戦争で奥羽越列藩同盟を離脱し新政府側軍となった結果とは?

旧幕府側から新政府側に鞍替えをした久保田藩は、戊辰戦争の勝利に貢献しましたが、戦後に新政府から厚遇されることはありませんでした。

大政奉還後の日本

江戸幕府の15代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)は、1867(慶応3)年10月14日に朝廷へと政権の返上を奏上しました。いわゆる大政奉還です。これを受けて朝廷は、明治天皇による親政の宣言を発し(王政復古の大号令)、新政府が発足しました。

薩摩・長州・土佐藩を中心とする新政府軍は、旧幕府勢力の会津藩(福島県会津若松市)や庄内藩(山形県鶴岡市)を「朝敵(ちょうてき)」に指定し、東北諸藩に会津・庄内の討伐を命じるのでした。

戊辰戦争の勃発

東北諸藩では両藩への同情や、横暴な官軍(奥羽鎮撫使(おううちんぶし))への反発から反政府の気運が高まり、奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)が結成されました。

1868(慶応4)年5月、新政府軍は旧幕府勢力を一掃するための侵攻を開始し、日本は内戦状態に突入します(戊辰戦争)。

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