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秋田戦争に巻き込まれた久保田藩は列藩同盟と戦うことに

このとき久保田藩は、新政府軍の命令を受けて由利地方に兵を集め、庄内藩に向けて出兵していました。しかし、奥羽越列藩同盟の盟主的な存在である仙台藩からの働きかけがあり、藩内の意見はまとまりませんでした。いったんは奥羽越列藩同盟への参加を表明したものの、その後も領内に官軍の奥羽鎮撫隊を滞在させている状態でした。

最終的には藩主・佐竹義堯(よしたか)が藩内の勤皇派の意見を容れ、「一藩勤王」を掲げて奥羽越列藩同盟からの離脱を決意。久保田城下にいた列藩同盟の仙台藩使節の11名を殺害しました。かくして久保田藩は官軍の尖兵となり、列藩同盟と戦うことになりました。

久保田藩が官軍に恭順を示すと、亀田・本荘・矢島藩(いずれも由利本荘市)なども同調し、秋田戦争(秋田庄内戊辰戦争)に巻き込まれていきます。

秋田戦争で久保田藩は列藩同盟軍にからくも勝利

列藩同盟軍のうち、庄内・米沢・仙台藩の軍は由利・院内から秋田県域に攻め込み、南部藩軍は鹿角から侵攻しました。

秋田側は敗戦が続き、久保田藩の持ち城である横手城(横手市)は早々に落城。庄内藩から攻撃を受けた本荘藩は、藩庁の本荘城(鶴舞城)に火をかけて逃亡しました。

亀田藩は降伏し、ふたたび列藩同盟軍に組み入れられます。秋田県北では大館城(大館市)が陥落し、官軍に与した秋田勢は劣勢に立たされていました。

秋田戦争(秋田県域の戊辰戦争)要図

秋田戦争(秋田県域の戊辰戦争)要図
『図説 秋田県の歴史』(河出書房新社、1987年)を元に作成

1868(慶応4)年7月下旬から8月初旬にかけて、庄内・米沢・仙台藩の軍が南から秋田県域に侵入。8月下旬には南部藩軍が北から攻め入りました。

秋田戦争で報われなかった秋田県域の人々

しかし、新政府軍が日本海から海路で援軍を派遣してくると情勢は一変します。久保田藩は、支藩である久保田新田藩の陣屋を建設する予定だった椿台(秋田市)に兵力を結集し、ついに列藩同盟軍を破ったのです。

久保田藩では多大な被害を出すだけでなく、官軍に与した周辺諸藩から逃亡してきた将兵を保護したせいで、莫大な費用がかかりました。やがて戊辰戦争が終結すると、官軍に加担した藩には明治新政府から賞与が出ましたが、失った戦費に対してあまりに過少であったために、秋田県域の人々は明治政府に対して不信感を募らせていきます。

秋田戦争勝利後も久保田藩の苦境は続く

さらにオランダから購入した蒸気船の座礁(八坂丸事件)や、資産運用の失敗で莫大な外積を抱え、明治政府から禁止された貨幣鋳造を続け、私銭鋳造の罪で罰せられます(秋田贋金事件)。

小参事暗殺や反政府の密約への加担(初岡敬治(はつおかけいじ)事件)など、「秋田藩四大事件」が立て続けに起こり、苦難のなかで新時代を迎えることになりました。

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・美しき田園・象潟の九十九島は鳥海山の山体崩壊でできた
・大館・鷹巣・鹿角盆地と能代平野 米代川流域に形成された地形の謎

Part.2 秋田を駆ける充実の交通網

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・東能代~川部を結ぶ絶景ローカル線 「リゾートしらかみ」が走る五能線
・鷹巣と角館を結ぶ旧国鉄角館線 秋田内陸縦貫鉄道は見どころ満載!
・釜石~横手~本荘を結ぶ大計画も!? 由利高原鉄道鳥海山ろく線がすごい
・小坂鉱山の鉱石輸送のため開業 旅客輸送も担った幻の小坂鉄道/昭和40年代に消えたローカル私鉄 羽後交通の雄勝線・横荘線とは?

Part.3 秋田の歴史を深読み!

・秋田の古代史総論
・大型住居跡やストーン・サークルなど秋田県の縄文遺跡がおもしろい!
・出羽柵が遷置・整備されて秋田城と呼ばれるようになった
・奥羽を支配した出羽の豪族・清原氏が後三年の役により滅亡
・秋田の中世史総論
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・秋田の近世史総論
・佐竹氏の入部以降、鉱山開発が進み鉱業が秋田藩の財政を支えた
・古来より栄えていた舟運に加え街道が整備され交易が盛んに!
・近現代史総論/奥羽越列藩同盟を離脱し新政府側へ 秋田藩の戊辰戦争と戦後のゆくえ
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Part.4 秋田で育まれた産業や文化

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・国内有数の米どころ・秋田県は農業産出額の5割以上を米が占める
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・古来より建材や工芸品に用いられた秋田杉の活用と保存の取り組み
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