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出雲平野ができる以前の斐伊川

1635年、松江藩主・京極若狭守忠高(きょうごくわかさのかみただたか)1633年に出雲市武志町であった大雨での堤防決壊による斐伊川の洪水を知り、武志町に堤防を築いて本流の流路を宍道湖方面に変えることを計画します。また大坂の水学者である川口昌賢(まさかた)を招いて複数あった宍道湖方面への川筋を統合しようとしました。

ところが1637年、忠高が志半ばで亡くなり計画は一時中断してしまいます。武志町の堤防は「若狭土手(わかさどて)」と呼ばれ、そのあとの治水工事の基礎となります。1639年にふたたび武志で洪水が起きたことから斐伊川の流れが変わり、宍道湖方面が本流となりました。
1638年、忠高に代わって松江藩主となっていた松平直政は事業を引き継いで土手の拡張を行ない、1640年ころに完成させ1657年には川筋の統合も終えています。

出雲平野の開拓と大梶七兵衛の功績

これで斐伊川と現在の出雲市中心部の西側を流れる神戸川(かんどがわ)の間には、大河の流れない平野ができました。その平野の発展に功績があったのが豪農(ごうのう)・大梶七兵衛(おおかじしちべえ)です。
現在の出雲市古志町出身の大梶七兵衛は1675年に松江藩から命じられ、神戸川河口付近の荒木浜(出雲市大社町荒木地区)の開拓に参加します。当時の荒木浜は海からの強い西風のために作物ができず荒れ果てていましたが、大梶七兵衛は防風林と砂防林を築いて風と砂から土地を守りました。これにより作物が育つようになっていきますが、今度は農業用水の不足が問題となります。

山陰本線と一畑電車が出雲平野を横断しています。
国土地理院標準地図を元に作成

出雲平野は大梶七兵衛の計画によって用水路で豊かな土地に

そこで大梶七兵衛は斐伊川から水を引くことを計画。しかし川が通る場所に土地を持つ人達が、土地を奪われることに対して反発し、測量用の杭を抜くなど妨害行為を行ないます。これに対し大梶七兵衛はひとりひとりに用水路の必要性を粘り強く説得して回ったといいます。

1687年に完成した用水路(高瀬川)は田畑を潤し生産量を増加させただけではなく、舟による物資の輸送路としても利用されました。高瀬川は砂地を通す際、水が吸い込まれないよう川底に筵(むしろ)を敷き、川底と左右には粘土を貼り付ける工夫が施されています。

大梶七兵衛が出雲平野に残したもの

七兵衛はその他にも洪水の多い神西(じんざい)湖の水を日本海に逃がす差海川(さしみがわ)の開削、古志町や出雲市知井宮町に農業用水を供給するため神戸川から神西湖に至る十間川の開削などを行ないました。

大梶七兵衛が成し遂げた数々の大事業の跡は、現在も出雲平野に残っており、人々に実りを与えているのです。

堀尾吉晴と松平不昧

松江市の基礎を築いた堀尾茂助吉晴は豊臣秀吉に仕え、息子の堀尾忠氏は関ヶ原の戦いあとに徳川家康から出雲と隠岐を与えられました。出雲に入国した堀尾父子は領国の東に寄っている月山富田城から移って中心に位置し宍道湖の水運を利用できる松江を城下町にすることを選びました

それから約150年後、松江藩は深刻な財政危機に陥ります。これに挑んだのが松平七代藩主・松平不昧(まつだいらふまい)(治郷)です。重臣の朝日丹波に改革の主導を任せ、人員の整理や産業奨励などで黒字化しました。茶人として知られ松平不昧を祖とする不昧流が残っています。松江市が和菓子処になったのも松平不昧が茶会で和菓子を添えたためです。松江市の中興の祖で文化の祖となった松平不昧を市民は今でも「不昧公」と「公」を付けて呼んでいます。松江市のものは何でも松平不昧と結びつけられることから、松江城を築いたのは松平不昧だと勘違いする人もいるほどです。

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Part.1 地図で読み解く島根の大地

・「弁当忘れても傘忘れるな」な島根の天気
・山陰地方と呼ばれるのは島根県と鳥取だけ?
・水質の良い一級河川「高津川」と大井谷の棚田
・隠岐諸島の「レッドクリフ」をはじめとする島々
・三県境と全国5番目に広い湖「中海」と7番目の「宍道湖」
・全盛期は東アジア最大、世界で2位の産銀量「石見銀山」は港まで続いていた?
・東京ドームほどの海浜公園「石見畳ヶ浦」

ほか

Part.2 島根を駆ける充実の交通網

・「銀の道」さらに「うなぎ街道」「鯖街道」とは?
・朝廷への情報伝達に使われた「官道」とは?
・土木学会が指定した土木遺産「福浦トンネル」
・一畑電鉄と一畑駅、大社線と大社駅
・Mランドドライビングスクールとは?
・JR木次線の「三段式スイッチバック」とは?
・島根の旧三江線トロッコ、初めて県境越え広島へ
・奥出雲おろちループ
・古代山陰道
・「ベタ踏み坂」江島大橋
・未成線広浜鉄道
・神にまつわる名前のついた10の駅
・最後の寝台列車サンライズ出雲

ほか

Part.3 島根の歴史を深読み!

・『日本書紀』『古事記』から神々を知ろう
・古墳も多い島根県
・『出雲国風土記』の世界「黄泉の穴」
・出雲大社を筆頭とする様々な「神社」
・「出雲」「石見」「隠岐」から「島根に」
・山陰のモンサンミッシェル?こと宮ケ島 衣毘須神社
・出雲の方言 東北の訛りとの共通点
・なぜ津和野町に「森鴎外記念館」が?「小京都」と呼ばれるわけ
・歴史的大打撃「廃仏毀釈」で失われたモノ
・島流しといえば「隠岐」?
・江戸時代の島根県、松江藩による出雲平野の開拓

ほか

Part.4 島根で育まれた産業や文化

・「相撲」発祥の地と言われる出雲
・名湯の多い島根県
・継承される多くの神楽と安来節
・歌舞伎の原型になったとされる「阿国歌舞伎」
・「玉鋼」と「たたら製鉄」と黒曜石
・日本で唯一「黄長石霞石玄武岩」を産出
・小泉八雲の作品と小泉邸

ほか

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