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フヴォストフ事件は蝦夷地警備のなか発生

1799(寛政11)年、幕府は北辺の警固を強化するために、東蝦夷を直轄化して東北諸藩に沿岸の警備を命じます。しかし、1804(文化元)年に通商を求めて長崎に来航したレザノフの交渉が不調に終わると、レザノフの部下フヴォストフが報復として久春古丹(くしゅんこたん)(樺太)、利尻島(りしりとう)、択捉島(えとろふとう)などの日本側の拠点を襲撃。さらに1806(文化3)年には樺太の松前藩居留地や択捉島に駐留する幕府軍を攻撃しました(文化露冦(ぶんかろこう)/フヴォストフ事件)。

フヴォストフ事件に端を発した津軽藩士殉難事件

これに対し幕府は弘前藩、南部藩、庄内藩(山形県鶴岡市)、久保田藩(秋田県秋田市)から3000人の武士を集め、宗谷岬(そうやみさき)や知床半島西岸の斜里(しゃり)などを警固させました。はじめ宗谷岬に向かった約300人の弘前藩士たちは、途中で斜里の警備を命じられて100人が移動を開始します。しかし、極寒と栄養不足で72名が死亡する痛ましい事件が起きてしまいます(津軽藩士殉難事件)。

フヴォストフ事件により日露関係が緊迫して以降、幕府は蝦夷地の直轄化を進めます。1807(文化4)年には西蝦夷を直轄地化し、さらに1809(文化6)年には樺太島を「北蝦夷地」と呼称して、こちらも東北諸藩に警備を命じました

ゴローニン事件が発生するも解決後に蝦夷地警備は解放

1811(文化8)年には国後島で松前奉行の役人がロシア軍艦の艦長を捕縛する事件が勃発(ゴローニン事件)。日露関係にさらに緊張が走りますが、事件解決後には松前藩らに課せられた勤番体制も緩和されていき、1821(文政4)年には蝦夷地の大半が松前藩に返還され、警備に当たっていた諸藩は兵を引き揚げていきました。

蝦夷地警備は鎖国開国後ふたたび

しかし、ペリー提督率いるアメリカ艦隊の「黒船来航」によって日本は1854(嘉永7)年に日米和親条約を締結し、箱館と下田を開港しました。鎖国体制は崩れ、外圧の脅威を肌で実感した幕府は、翌1855(安政2)年に渡島半島の一部を除き、蝦夷全域を再び直轄地化しました。この頃の幕府には蝦夷地警備を賄えるだけの財政的な余裕はなく、盛岡、弘前、久保田、松前藩、さらには会津、庄内藩にも沿岸警備を命じます。蝦夷警備に奔走しながら、青森県域に幕末の動乱が訪れるのでした。

弘前藩は渡島半島の西部、盛岡藩は渡島半島の東部の警備を行いました。
『新編 北海道の歴史 上 古代・中世・近世編』(北海道新聞社、2011年)を元に作成。

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Part.1 地図で読み解く青森の大地

・津軽・下北半島が陸奥湾を抱き 県央を貫く奥羽山脈が地形を二分
・火山がもたらした絶景や石灰岩 下北半島に刻まれた列島誕生史
・二重カルデラの十和田湖が生んだ奥入瀬渓流の渓谷美
・津軽富士と称される美しい岩木山は荒々しい火山地形を残す活火山
・古いカルデラの上に形成された八甲田山は火山地形の宝庫!
・東に段丘・西に砂丘・南に扇状地 岩木川がつくった津軽平野
・かつて潟湖だった小川原湖と広大な上北平野ができるまで
・地すべりでブナの原生林が誕生 太古の森が残る白神山地の成り立ち

・・・など

Part.2 青森を駆け抜ける鉄道網

・日本鉄道の駅として明治期に開業 北への玄関となった栄光の青森駅
・E5系・H5系「はやぶさ」が走り延伸を続ける東北・北海道新幹線
・車内で津軽三味線の生演奏!?「リゾートしらかみ」がゆく五能線
・函館への海底トンネルを掘削!?大湊線・大畑線・大間線の大計画
・日本初のステンレス車も活躍する東北最大の私鉄 弘南鉄道がすごい
・黄金の東北本線は新幹線で激変 新時代を走り出した青い森鉄道
・冬は石炭炊きのストーブ列車!ローカル私鉄・津軽鉄道の魅力
・レトロなレールバスがみちのくの原風景を走った幻の南部縦貫鉄道

・・・など

Part.3 青森で動いた歴史の瞬間

・マンモスを追ってきた人類が定着 中央に属さない独自の文化が発展
・豊かな自然のもとで生まれ1万年にわたり続いた縄文文化
・稲作を基盤とする弥生文化と北海道で発達した擦文文化が交錯
・和人の律令国家に取り込まれず蝦夷の地として交易で発展する
・奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ武士たちの激しい抗争の時代へ
・十三湊を制して栄えた安東氏と室町期に台頭した南部氏の争い
・北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた津軽氏とは?
・藩境争いに暗殺未遂、戊辰戦争…度重なる津軽と南部の紛争
・戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立し近代化していく
・港町から県都となった青森では町人中心の町づくりが進んでいく

・・・など

Part.4 青森で育まれた産業や文化

・霊媒師イタコが霊場・恐山の象徴的存在となった理由
・諸大名が財を投じて求めた南部駒 青森県の馬産の歴史は古代から!?
・築100年のダムが現役!耐久性の高い青森ヒバ
・岩木山麓の原野を切り拓いて旧藩士たちが始めたリンゴ栽培
・大間のマグロに陸奥湾のホタテ! 青森県で水産物が豊かな理由とは?
・船上に車両を載せて海を渡る! 青森〜函館をつないだ青函連絡船
・セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌した八戸
・米軍・自衛隊・民間が利用する三沢飛行場は旧海軍航空基地だった

・・・など

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