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島原大変肥後迷惑までの経緯

その前兆として、1791(寛政3)年秋から島原半島では地震が続いていましたが、1792年2月10日(寛政4年1月18日)、普賢岳山頂の地獄跡火口で噴火が始まりました。噴火は約50日間にわたり、溶岩は大月谷から穴迫谷(あなさこだに)に沿って約3㎞流れ下りました。この溶岩は新焼溶岩と呼ばれ、噴出量は2000万㎥だったと推定されています。

眉山の崩落が招いた大津波

この噴火による人的被害はなかったとされますが、噴火が停止してほぼ1か月後の5月21日(4月1日)に強い地震が発生、東に隣接する眉山が大崩壊して、0.34㎦の岩屑が有明海になだれ込みました。そのため、最大波高10mの大津波が発生、約20分で肥後天草に到達し、それが肥後の海岸で反射して再び島原を襲いました。


現在の眉山。眉山の南東部が大きくえぐれ、大崩壊したことが読み取れます。また、地図右上の有明海に点在している小島群は九十九島と呼ばれていますが、眉山の大崩壊で有明海に流れ出した大量の土砂によって形成されたものです。

島原大変肥後迷惑による各所の被害

この津波による被害は有明海沿岸のほぼ全域におよび、島原領で1万139人の死者と、3347軒の家屋流出があったほか、『天草近代年譜』によると熊本藩でも溺死者5520人、流失家屋2250軒が出たとされています。
また、惣庄屋(そうしょうや)たちからの報告によると溺死者数は玉名郡2221人、宇土郡1266人、飽田郡(あきたぐん)1166人、その他140人にのぼり、田畑の流失は2000町余、減収は36万9000石にのぼったと記録されています。さらに天領だった天草では18ヵ村が被害を受け、溺死者343人、怪我人707人、流失家373軒、田畑損壊65町余であったとされます。この大災害の後、被害地には多くの慰霊碑が建てられました。

島原大変肥後迷惑によって被災した人々を偲ぶ慰霊碑

古墳改葬之碑

熊本県玉名郡長洲町大字長洲。長洲では600人ほどが死亡したとされています。

津波死十一人塔

熊本県玉名市岱明町下沖洲にあります。

扇崎千人塚供養塔

熊本県玉名市岱明町扇崎。玉名地域では、干拓地を造成中だった地域での被害が甚大で、玉名郡内では2221人が亡くなりました。

津波石の跡

熊本県玉名市横島町横島付近。横島地区はまだ耕地化されておらず住民は山の中腹に住んでいたため、この地での被害記録はありませんでしたが、ここまで津波が打ち寄せたとされる石が残されています。

津波供養碑

熊本県熊本市西区河内町河内。旧河内村塩屋地区では、約100人が亡くなったとの記録があります。

寛政の津波供養碑

熊本県宇土市戸口町。宇土郡の合計死者数は1266 人にものぼりました。

津波境石

熊本県宇城市三角町大田尾。津波境と書かれた石碑があります。この碑が建てられているのは、海抜20m、海岸から250mほど内陸に入った地点ですが、ここまで津波が進入してきたことを示しています。

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・南北に分断された九州がひとつになった理由とは?
・4つの川は熊本にとって恵みの存在なのか?
・ちょっと不思議な天草諸島の地形はどうやってできたのか?
・熊本は「火の国」ではなく、実は「水の国」だった!?

…などなど熊本のダイナミックな自然のポイントを解説。

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・熊本電鉄の路線で、“懐かしの車両”に出合えるのはいったいなぜなのか?
・2020年7月豪雨で存亡の危機に! 果たして肥薩線は復活できるのか?
・全線不通から全線開通は可能か? くま川鉄道と南阿蘇鉄道の挑戦は続く
・熊本を走る観光列車のいろいろ。その歴史と魅力を知っておこう!
・九州新幹線の開通で人の流れは変わったのか?

…などなど熊本ならではの鉄道事情を網羅。

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