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陸奥国に造営された郡山官衙

陸奥国は誕生から、蝦夷平定、つまり、支配地拡大が宿命となりました。

改新後の政権は、蝦夷の地との境に城柵を設けて支配領域の拡大を図り、陸奥国以南から大規模な移民を図ったといわれます。陸奥国には国司のほか、陸奥按察使(むつのあぜち)という役人を置き、軍や人や物資の管理をさせました。

その役所となったのが、7世紀中ごろに造営された郡山官衙(こおりやまかんが) 。現在の仙台市太白区郡山地区に遺跡があり、陸奥国府であったと考えられています。同じころ現在の古川市に、蝦夷征討の最前線基地として名生館(みょうだて)の官衙も築かれました。

古代城柵の配置

古代城柵の配置
『宮城県の歴史』を元に作成

北方への支配領域の拡大に伴い、次々に城柵が設置されました。城柵には兵隊が駐屯し、蝦夷の襲来に備えたのです。

陸奥国に築かれた多賀城とは

8世紀初めには、新たな国府として多賀城が築かれました。当時の蝦夷征討の最前線であり、総面積は奈良の都・平城京にある平城宮の半分以上。辺境の城柵としては当時でも最大級の広さで、郡山官衙と比べても、およそ4倍の面積があったのです。城柵内には政庁のほか、寺院などが整備され、国府と呼ぶにふさわしい偉容を誇っていたといわれます。

多賀城の範囲

多賀城の範囲
宮城県多賀城跡調査研究所資料を元に作成

約900m四方に及ぶ多賀城の領域。軍事・政治・文化の中 心として重要な役割を担っていました。

陸奥国と蝦夷との戦い

蝦夷との戦いは、781(天応元)年に即位した桓武天皇の頃にピークを迎えます。

桓武天皇は大伴家持(おおとものやかもち)を征東将軍に任じ、多賀城を拠点に、岩手県胆沢(いさわ)地方の蝦夷勢力の排除を図りました。しかし、大きな成果は得られず、征討は四度(よたび)に及びます。朝廷軍を退けたのは、蝦夷軍の指導者・阿弖流為(アテルイ)でした。

しかし、猛将・阿弖流為も、ついに敗れるときがきました。その戦いの指揮をとったのが、征夷大将軍・坂上田村麻呂です。降伏した阿弖流為は京に連行され、首を打たれたのでした。

陸奥国の動乱は38年に及び多賀城は焼け落ちた

この戦いの結果、岩手県の北上川中流域が律令国家の支配下に入り、胆沢城が築かれて多賀城から鎮守府が移されたといわれます。

蝦夷と戦った陸奥国の動乱は38年に及びました。多賀城は戦乱の内に焼け落ち、国土は疲弊しました

その後、国家財政の窮乏から蝦夷征討は取りやめになり、蝦夷の地は再び動乱に陥ります。しかし、朝廷は軍を派兵するのではなく、蝦夷の豪族を官僚に取り立てるなどして平定を図りました。10世紀以降、そうした政策の中で台頭してきたのが、安倍氏であるといわれます。

多賀城碑の真贋論争に決着

多賀城は古代陸奥国の中央政庁(国府)でしたが、江戸時代初めに多賀城碑が発掘されたことで、創建年代などが明らかになりました。

多賀城碑には、京などからの距離のほか、按察使兼鎮守将軍の大野東人(おおのあずまひと)が724(神亀元)年に多賀城を設置し、762(天平宝字6)年に藤原朝狩によっ て修造されたことなどが書かれています。

多賀城碑は、群馬県の多胡碑、栃木県の那須国造碑とともに日本三古碑のひとつに挙げられてきました。「壺碑(つぼのいしぶみ)」として枕詞にもなっており、松尾芭蕉が訪れたことでも知られます。ところが明治時代ごろから、偽作ではないか、ということが問題になりました。文字の彫り方などに疑念があるといわれます。

現在では、多賀城跡の発掘調査の結果、創建や修復の年代に大きな違いが見当たらず、建碑当時から現在地に立っていたことが判明。真贋論争には決着がついたのです。 まさしく本物です。1998(平成10)年には、国の重要文化財に指定されています。

多賀城碑の真贋論争に決着

多賀城碑

住所
宮城県多賀城市市川田屋場
交通
JR東北本線国府多賀城駅から徒歩10分
料金
情報なし

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・東北最大の雷神山古墳が示す仙台・名取の有力豪族
・東北支配の拠点となった陸奥国郡山官衙と多賀城
・藤原家三代秀衡が陸奥守に就任・宮城の地も藤原家の統治下に
・室町時代に権勢を誇った大崎氏・名生館の屋敷で伊達氏らが拝謁
・敵を寄せ付けぬ天然の要害 正宗の拠点・仙台城が完成
・伊達62万石を揺るがせた伊達騒動の顛末を追う
・元禄バブル崩壊で財政危機!5代吉村が改革に乗り出した
・飛行隊基地に陸軍駐屯所など軍都としても栄えた宮城県

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