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慶長遣欧使節団を派遣した伊達政宗はスペインとの貿易を目論む 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年5月13日

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慶長遣欧使節団を派遣した伊達政宗はスペインとの貿易を目論む

徳川幕府の統治体制が整ったころ、伊達政宗はまたも動き出しました。
目指した先は国内ではなく、ヨーロッパ。
遣欧使節団を編成してイスパニアへ送ったのです。

慶長遣欧使節団をイスパニアへ派遣した目的

伊達政宗は仙台城下の町づくりを進める一方で、新たな事業も考えていました。それが、イスパニアとの交易です。徳川幕府の成立で国内が安堵されたことから、海外へと目を向けたのでしょう。もしかすると、伊達郡旧領土の回復がかなわなかったことから、新たな収益源の確保を目指したのかもしれません。

イスパニアは、英語で言うスペインのこと。自国語でイスパニアと言います。当時はまだ、ポルトガル(17世紀半ばにスペインから独立)も含まれており、鉄砲などの先進技術をもつ国でした。伊達政宗は、その国と貿易をして、おそらく武器などを輸入しようとしたのかもしれません。

イスパニアと貿易をしたいという旨は幕府に伝えられ、許可を得ることもできました。幕府から船大工や水主頭(かこがしら)も派遣され、その頃は幕府の期待も高かったと思われます。

慶長遣欧使節たちがヨーロッパへ出発

やがて、太平洋を横断できる西洋型帆船が完成。サン・ファン・バウティスタ号と名付けられました。排水量は約500トン。

同船が、石巻・月ノ浦港を出帆したのは、1613(慶長18)年のことです。乗船していたのは、慶長遣欧使節・支倉常長(はせくらつねなが)ら180人余。伊達家の家臣だけでなく、10人ほどの幕臣のほか、宣教師ルイス・ソテロ特派大使ビスカイノらも乗っていました。

慶長遣欧使節はマドリードを経てローマへ

1614(慶長19)年にはイスパニアの植民地であるノビスパニアのアカプルコ港に到着。その後、30人程度が選ばれ、イスパニアの船でヨーロッパに向かいました。イスパニアの首都・マドリードには、12月に到着しています。

翌年1月にはイスパニア国王・フェリペ三世に拝謁でき、常長は政宗の親書を手渡しました。それを機会に常長は洗礼を受け、キリスト教に改宗。11月には、ローマ法王・パウロ五世と謁見しています。すでに出航から2年を過ぎていました。

常長一行の礼儀作法と外交交渉の態度にローマ市民は感心し、市議会は満場一致で常長をローマの貴族と名誉市民に叙し、公民権を与えることを議決したのです。

慶長遣欧使節の苦労は実らず

その後、支倉常長は交易の許可を得るべくイスパニアへと向かいました。しかし、日本国内ではキリスト教弾圧が厳しくなっており、そうした情勢はすでにヨーロッパに伝わっていました。

結局、イスパニア国王は交易を望まず、常長の努力は実りませんでした。使節団はノビスパニア行きの艦船に乗り、その後、同地に迎えにきた伊達家家臣とともにルソンに向かいました。貿易のライバル出現を恐れたイスパニアにバウティスタ号を没収されてしまったため、2年の足どめののちに便船で帰国したといわれます。

慶長遣欧使節の苦労は実らず
宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)の資料を元に作成

慶長遣欧使節・支倉常長のその後

帰国してからの支倉常長の動向についてはよく知られていません。墓と伝わる場所もいくつかあり、晩年は不遇であったと思われます。

支倉常長がヨーロッパに行っている間に幕府の政策は大きく変わり、キリスト教を弾圧し、武器などの海外取引を制限していました。常長が仮に貿易の許可を得て帰ったとしても、実際の交易は難しかったでしょう。さらに、常長自身がキリスト教徒に改宗していたことも具合が悪いところでした。伊達政宗としても、彼の処遇には頭を痛めていたことでしょう。幕府の怒りを買えば、改易されることだってあったのです。

支倉常長は、よくて隠居または蟄居するしか、道がなかったのかもしれなません。不運の人でした。

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