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稲葉山城を陥落させた美濃攻略戦~西美濃三人衆の内応を得て稲葉山城を落とす

しかし美濃の結束は固く、力攻めでは攻略が難しいとみた信長は、尾張・美濃国境付近の小牧山城に居城を移します、美濃の国衆(くにしゅう)を熱心に調略しました。

こうして硬軟両面の作戦で、要衝の墨俣(すのまた)の制圧と、斎藤家臣団の中核となる美濃三人衆(氏家卜全(うじいえぼくぜん)、稲葉良通、安藤守就(あんどうもりなり))を寝返らせて、斎藤氏の本拠稲葉山城を孤立させることに成功します。永禄10年(1567)、稲葉山城を総攻撃し、降伏に追い込みます。稲葉山城の戦いでは、木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)の活躍が流布していますが、実際は城主・龍興(たつおき)が城から逃げ出しているので、無血開城に近い形だったと思われます。

戦国の豆知識:稲葉山城を陥落させた美濃攻略戦

美濃攻略に際して重要な働きをしたとされるのが木下藤吉郎、のちの豊臣秀吉です。彼は墨俣に拠点を築き、斎藤家の家臣を調略するなどしたとされます。

稲葉山城は調略によって落とされた

小牧山に本拠を移した信長は、軍事力を用いる一方で、美濃各地の豪族を次々に調略して味方とし、稲葉山城を孤立させていく作戦を取っています。なかでも美濃三人衆離反の影響は大きく、その後間もなく稲葉山城が落ちています。

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『地図でスッと頭に入る戦国時代』見どころ

【〝北条早雲〟の伊豆制圧―1493年】
地図:北条早雲の台頭を許した関東の情勢(北条早雲の関東進出の戦略がわかる)
【鉄砲伝来―1543年】
地図:火縄銃の波及(種子島に伝来した新兵器が多方面に広まっていく様がわかる)
【三好政権―1549年】
地図:三好政権の支配地(信長以前の畿内を支配した政権のしくみと失敗の構造がわかる)
【キリスト教伝来―1549年】
地図:イエズス会の布教体制(教区)(カトリックの布教体制とキリシタン大名の関係がわかる)
【桶狭間の戦い―1560年】
地図:合戦後の東海情勢(義元没後に起こった今川家崩壊の過程がわかる)
【第4回川中島の戦い―1561年】
地図:疑問だらけの大会戦(川中島の戦いに関する通説のウソがわかる)
【堺の降伏―1569年】
地図:堺の硝石と金(信長が畿内進出後真っ先に堺を押さえた理由がわかる)
【長篠の戦い―1575年】
地図:長篠の戦い戦況図(武田軍を鉄砲の前へ誘き寄せた信長の高度な戦術がわかる)
【大坂の夏の陣―1615年】
地図:徳川軍の進軍経路と大坂の陣(なぜ大坂城の南側が戦場となったのか?がわかる)

『地図でスッと頭に入る戦国時代』監修者

小和田哲男(おわだてつお)
1944年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。現在、
静岡大学名誉教授。(公益財団法人)日本城郭協会理事長。専門は日本中世史。著書に
『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK 出版)、『戦国武将の生き方死に
ざま』(新人物往来社)、『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(ミネルヴァ書房)
など多数。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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