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博多津唐房の当時の様子

彼らは「博多津唐房(はかたつとうぼう)」(「博多唐坊(はかたとうぼう)」とも記載)と呼ばれた建物に住み、その建物は、中国中南部に起源する中国瓦の大量出土地点などから、「博多浜」に点在しながら、あるいは中央部(現祇園町交差点を中心とした方約一町の古代官衙域は、廃絶した後「唐房」が建てられた可能性もあります)に集中して建ち並ぶ姿が想像され、チャイナタウンといえる都市景観を呈していたことでしょう。中国人たちが建てた「唐房」には、住居のほか、事務所や店舗、倉庫、祠堂(しどう)、庭園なども付属していました。また、次第に日本人との混住も進み、日本人の女性と結婚し子どもをもうけ、三世になると日本に同化した中国人もいました。

博多津唐房で暮らす中国人の精神的な拠り所となった2つの寺

鎌倉時代の建久6(1195)年(一説では元久元〈1204〉年)、宋人が建てた「博多百堂(はかたひゃくどう)」(仏堂か)の跡地に、栄西(えいさい/ようさい)(1141-1215)によって、わが国最初の禅宗寺院聖福寺(しょうふくじ)が建てられました。建立には「博多綱首」(博多を拠点にした綱首)と思われる「博多津両朝通事(りょうちょうつうじ)李徳昭」や「鎮西博多津張国安」などの経済的援助があったと考えられます。また、仁治3(1242)年には「博多綱首」謝国明(しゃこくめい)(生没年不詳)によって、聖一国師円爾(しょういちこくしえんに)(1202-80)を開山に迎えて、聖福寺の南側の地に禅宗寺院承天寺(じょうてんじ)が建てられ、両寺とも博多居住の中国人たちの精神的な拠り所になっていました。

博多津唐房は都市博多の前身!? 確かに存在した日本初のチャイナタウン

これまで、聖福寺の創建をもって都市博多の成立とされてきましたが、博多は11世紀後半、「唐房」建設・チャイナタウン形成によって生まれた都市といえます。11世紀後半から東アジアや東南アジア各地へ中国人が移動し居住しはじめますが、「博多津唐房」は、この初期華僑(かきょう)の海外進出の波動の一環として理解されています。なお、文永11(1274)年と弘安4(1281)年の二度の蒙古襲来後、博多では中国人の居住は見られなくなります。

中華街で有名な長崎や横浜、神戸に先んじて、今から950余年前、博多に形成された日本最初のチャイナタウンは、13世紀後半の蒙古襲来という対外戦争による消滅まで、ほぼ200年間にわたって存在していたのです。

うす緑色の部分は12世紀頃の陸地、▲は中国瓦の大量出土地点。
(林文理氏作成の推定図を基に作図)

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